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理学療法士になりました                    ~リハビリ 日々是好日~
リハビリスタッフとして仕事をしながら、日々思うこと、記憶に残ったことを記録していきます。

プロフィール

どら吉

Author:どら吉
年齢   : 39歳
性別   : 男性
略歴   : 大学  ドイツ文学科を専攻
     : その後 金融機関に就職
           システムエンジニア
     : 退職後 専門学校に入学
           理学療法学科を専攻
     : その後 病院・診療所に勤務
     : 現在  診療所にて
           通所リハビリ業務
           訪問リハビリ業務



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お金なんかいらないよ

こんにちは。

 本日は、熊本の天草出身の利用者さんAさん96歳、女性のお話しです。

 この方は、現在両股関節の頚部骨折、人工骨頭置換術を行った後、左大腿骨頸部の再骨折、さらに、
ASO(閉塞性動脈硬化症)の診断を受けている利用者さんです。

現在、生活保護を受けながらも独居を続けています。歩行は歩行器にてすり足で歩く方ですが、
気丈な方であり、自分の尿失禁したオムツを袋に詰め、
高さ60cmほどある直方体の大きめのゴミ箱を歩行器のように使いながら
近くのゴミ捨て場に袋を捨てに行き、帰りはゴミ箱を空にしてゴミ箱を利用して戻ってきます。

 もちろん、リハビリとしては、’ゴミ箱で外に出るのは禁止ですよー、転ぶとまた骨折ですよー’
と厳しめに言っていますが、、、聞きません。
恥ずかしいから、と夜更け暗いなか、ゴミ箱で移動して捨てに行きます。

 なおさら危険なのですが、、、、聞きません。シルバーカーを希望していますが、もちろん
ケアマネージャーも、だめですよ、外を歩くから、と買ってはあげませんが、、ゴミ箱で移動します。

くちぐせの一つに、’お金なんかね、いらないよ’というのがあります。
なんとかなるもんだ、と本人はおっしゃっています。ただし、生活保護は受けていますが。。。

 さて、このAさんは、熊本の天草出身ですが、海の方でなく、山の中の村にて生活していたようです。

家族がそれぞれの仕事を持っていて、

父親は馬や牛を飼育して、一部は田畑を耕すことに使い、一部は種馬として使って、子供を産ませ、
それを町へ持って行き、競りに出した、ということです。鶏舎も管理していたようです。

 母親は基本的に田畑に出て、米や野菜を育てていたということです。
基本的には一家が生活できる分作っていたようですが、余った分は、
町に売りに行ったようです。

 祖父母は自宅にて、本人いわく お蚕さん を飼っており、
そのお蚕さんの糸を使って、機織りにて衣類なども織っていたようです。

Aさんの弟は優秀な人物だったとのことで、町の郵便局に勤めていたとのことでした。
Aさんは、村中の子供の世話をして、駄賃を貰ったり、野菜を分けてもらったり、
自分に与えられた4畳半ほどの小さな畑で花を育て、それを商人に売っていたようです。

 つまり、実際に現金を給料として稼いでくるのは主にAさんの弟です。
この1人だけの収入で、あとは、食べるものは母親が田畑で作った米や野菜、
父親はそのサポートをする馬や牛を飼育して搾乳した牛乳、鶏舎でとれた卵を食料にしていたようです。
祖父母は出来る限りのささやかな養蚕の仕事をしていたとのことですが、
作った糸は、ある程度の値段で町の商人に売れたようです。

 Aさんからすると、現金を持っているよりも、生活に必要な役割分担ができる家族がいることが大事で、
お金がなくても食べることは問題なく出来た、とのことでした。

 父親の飼っていた馬が種付けをする時の話は、Aさんは楽しそうに話をします。
メス馬何頭かの手綱を木に括りつけて待機させ、オス馬を放つらしいのですが、
ヒヒーンとオスもメスもかなり興奮した鳴き声をあげるらしく、
また、その交尾の光景は、周りの子どもたちは面白がって見に来るとのことでした。
もちろん、親たちは、あまり見せたくないらしく、子どもたちを叱るようですが、
子どもたちはあまり聞く耳をもたず、その光景を見に来るとのことでした。

 お金を手に入れても、使うためには町の方まで(3里ほどあったようです)下りて行かねばならず、
それ以外には、天秤棒を担いで魚を売りに来る商人から魚を買う時に必要なくらいであった、
ということです。

 このような生活をしてきたAさんは、非常に働き者だったようです。
ただし、戦時となり生活が厳しくなった時期に、食い扶持を減らすためということで、
Aさんは中国の上海にいる叔母のもとへ送られたようです。

 このような背景を幼少時代よりもつAさんが、こちらがどれだけ、転びますよといっても、
一人で現在も家事全般をやりたがり、ヘルパーさんが尋ねてきたころには洗濯も掃除も
危なっかしくいろいろやっていることは、自然な流れなのかもしれません。

 まぁ、こちらとしては、注意することは注意するのですが、本人の意思ややり方を曲げるわけにも
いかないので、どうぞ転ばないようにと祈るばかりです。
どうせ歩くのなら、とケアマネージャーにシルバーカーもOKにしますか、と現在交渉している
最中です。
 
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