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理学療法士になりました                    ~リハビリ 日々是好日~
リハビリスタッフとして仕事をしながら、日々思うこと、記憶に残ったことを記録していきます。

プロフィール

どら吉

Author:どら吉
年齢   : 39歳
性別   : 男性
略歴   : 大学  ドイツ文学科を専攻
     : その後 金融機関に就職
           システムエンジニア
     : 退職後 専門学校に入学
           理学療法学科を専攻
     : その後 病院・診療所に勤務
     : 現在  診療所にて
           通所リハビリ業務
           訪問リハビリ業務



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見えるひと

こんばんは。

 本日は、このような仕事をしているセラピストは、ひょっとした年に1人くらいは巡りあうかもしれません。

つまり、見える人です。

私もそういう方を何人か担当してきました。

本日私が述べる方は、腰椎圧迫骨折、心不全にてペースメーカーを埋設したTさん90歳です。

 その方が、見える人だということを私に告白してくださったのは、デイケアにてリハビリを受け持ってから
半年は経った頃でした。
 ちょうど私の祖父がなくなった年に、先生はつらい経験を先ほどなさいましたねぇ、と悲しそうな顔で
こちらをご覧になっていました。
 
 私が、笑顔で何をです?と聞き返すと、まさに祖父が他界した時に肺を病んでいたこと、
そして、私がその祖父の亡くなる一週間前に人工呼吸器をつけた祖父の耳元で、
’来たよ、頑張って’と言ったこと、そのことまで分かっていました。

 私は驚きましたが、世に言ういわゆる霊感の強い方、というのを何人か知っていますので、
まぁ、そういうのがわかる方なんだな、と思いました。
その方は、私が、’頑張って’と祖父に言ったことを後から後悔し、’よく頑張ったね。もう十分だよ’と
言ってあげればよかった、と後悔していることも含めて、
つらい経験を・・・と言ってくださったのです。 これには本当に、はっとして、途中でしばらく言葉が
出ずにいました。

 いわゆる、分かる人、見える人、としてのTさんは、それはそれでつらいとおっしゃっていました。
見たくなくても見えるわけですから。そして、良いひとでも悪い人でも分かる人ですから。。

 かく言う私自身は、どちらかと言うと、さっぱり霊感らしきものはありません。
亡くなった祖父母が、霊だろうがなんだろうが、出てきてくれたら、ゆっくりお話できるのに、と
常々考えているくらいです。

 こういう仕事をしていると、’頑張って’よりは’頑張ったね’という言葉をかけてあげたくなることも、
自分にとっては大きな変化ですが、改めてそれを指摘されると、少しどぎまぎしてしまいます。

 その方は、ある時、忠告もしてくれました。
’先生は、いろいろな寺を回るのが好きみたいだけど、場合によっては、悪いものを引き連れて
帰ってきますよ。ほどほどにしてくださいね’と。

 私は古刹巡りといいますか、古い神社仏閣巡りが嫌いではないのですが、その方の言葉には
ある意味、ドキっとしました。
 まぁ、そんなことは・・・と感じる自分と、 この方が言うんだから、もしかしたら・・・と感じる自分が
同居しています。

 いずれにしても、程度の差はいろいろですが、私が担当してきた利用者さんの中には、
見える人、を頂点として、夢にて見たことが、大体において正夢になる人、などもいます。

 ’自分が一生懸命に姪をなだめている夢を見た’とおっしゃったある利用者さんの兄妹が、
その数ヶ月後に亡くなった、ということもありました。

 人の不思議さ、その能力なのか、その感覚なのか、その不思議さを感じることもあります。
ついつい、そのような方に、’自分の後ろに誰がいますか’と冗談半分に聞いてみたくなる時も
ありますが、その方々が自ら言い出すまでは、待っていようと思います。
 時々そういった方々と視線が合わず、自分の後ろや周りを無言でじっと見ていると、
なんとなく、ひょっとして何かが?とか考えてしまうことがあります。

 何となくですが、そのような人は、自分の祖母がそうだった、とか、姪がそうだ、とか、
そのような話もされます。 何か遺伝的な要素があったりするのでしょうか。。。

 8月も最後の日なので、このような話もありかと思います。決して嘘ではありませんのであしからず。

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乳がんについて

おはようございます。

 本日は、乳がん手術後、45歳の女性Fさんのお話です。

この方は、ステージⅢCにあたる右乳がんの方でした。

ステージというのは、癌の進行度を表すもので、ⅠからⅣまであり、数字が上がるにつれて、
その進行度が高いという目安になります。

  ⅢA:可動性のある腋の下のリンパ節転移があり、腫瘍の大きさが5㎝を超える。
      可動性のないまたは癒着した腋の下のリンパ節転移があるか、
      胸骨の内側のリンパ節に転移があり、腫瘍の大きさは触れないものから5㎝を超えるものまで。

  ⅢB:皮膚の変化がある、または炎症性乳癌があり、リンパ節転移がないものから、
     可動性のないまたは癒着した腋の下のリンパ節転移がある。

  ⅢC:腫瘍の大きさに関係なく、鎖骨下または鎖骨上の遠隔転移があるか
     腋の下のリンパ節と胸骨の内側のリンパ節両方に転移がある

  などといった形で、Ⅰ~Ⅳという進行度の他に、AだのBだの条件があります。

  ちなみに、ⅢCの5年生存率は74.8%で、手術をした場合は75.8%とあります。

  基本的には、
  乳がんのステージは、以下の3点において、医師が判断するようです。
   ・しこりの大きさと症状(Tumor)=T
   ・リンパ節転移の有無(Lymph Node)=N
   ・遠隔転移の有無(Metastasis)=M

 このFさんは、腋窩リンパ節郭清という手術を行いました。つまり、

脇の下のリンパ節をすべてきれいに 取る  という手術をしました。

ある大学病院のベテランの医師によるオペだったとのことでした。

 ただし、現在、この腋窩郭清という行為が生存率を高くするかしないか、
これは、いろいろと意見が分かれるところのようです。

 正確な病期は知りたいが合併症が怖いので、郭清の代わりにリンパ節を少し取るだけで
済ませたいという方がたくさんいます。そういう方にはセンチネルリンパ節生検を行うようです。

 センチネルリンパ節とは、リンパ管に入ったがん細胞が最初にたどり着く腋窩リンパ節のことで、
がんのリンパ節への転移を見張っているという意味で"見張りリンパ節"とも呼ばれます。
現在ではこの方法でかなり性格に腋窩リンパ節への転移がわかるようです。

 さて、このFさんは、乳房とともに、大胸筋などの肩関節を動かす筋肉を切除したために、
右肩関節の可動域がかなり低下してしまいました。

 私と関わってから2年間経ちますが、最初は右腕は重力に抗って上に挙上したり、横に広げることも、
ほとんどできませんでした。
 現在は、だらりと腕を垂らした状態から、自力で45度くらい、前にあげたり、横に広げたりできます。
重力の影響を除外して、私の方で他動的に動かす分には、80度ほどの動きが出るようにまでなっています。

 腋窩リンパ節を郭清した場合には、
腕の筋力が低下だけでなく、皮膚の知覚障害や、10%強位の方には腕のむくみなどが起こります。
 (一方、センチネルリンパ節生検だけですんで腋窩リンパ節を郭清しなかった方は、 
  障害の程度がずっと少なくなります)

 現在のところ、Fさんには主な痛みもなく、また、浮腫も生じていません。

 Fさんの場合には、手術後に免疫系の病気である、< 皮膚筋炎 >を併発してしまったために、
術後の病院での軽いリハビリにおいて、腱板損傷・骨の一部遊離をおこし、
また、関節を動かした際の痛みひどく、かなりの時間、術後にリハビリがきちんと行えなかったようです。
 本人曰く、歩いてばかりいたような。とのことでした。

 この、皮膚筋炎の併発は、時々生じるようですが、この治療自体がステロイドを使用するため、
かなり慎重にリハビリで介入しないと、今回のように、腱板損傷という自体や、骨欠損という事態
に陥るようです。

 私自身、この方へのリハビリ介入に関しては、医療保険としての介入となっています。
今のところ2年間でようやく少しずつの抵抗運動を行っており、可動域も改善しています。
今後の介入にかんしても、勉強を続けていかねばと考えています。







再梗塞の判断

こんばんは。

 本日は、デイケアでのリスク管理・利用者の状態の変化に対する対応に関して、
反省の意味も込めて書きたいと思います。

 その利用者さんは、68歳女性、Gさん。過去に脳梗塞を2度、肺がんを1度発症している方です。
この方は、短下肢装具を装着して、T字杖にて歩行が可能な方でしたが、

デイケアを利用したある時、呂律があまり回っていない感じがすると介護スタッフより連絡がありました。

その方は週に三回の利用があるので、その2日後、来所した際に、

今度は呂律障害の継続と、動作がなんとなくおかしい、そして、声をかけてもその反応に時間がかかり、
少し内容的にも矛盾がある、ということでした。
その方は、2度の梗塞はあるのですが、構音障害は少しあるにしても、基本的にはしっかりと
コミュニケーションのとれる方で、基本的には大人しい、穏やかな人でした。
ただ、身体機能面で評価した際に、神経学的症状や本人の自覚症状はなく、
呂律障害かな?と思わせる以外は、血圧が高かったという症状でした。

 この日は看護師にもチェックしてもらったのですが、脱水の可能性もあるが、再梗塞までは
いかないのでは、と、あまりとりあっていないようでした。
看護師の判断は、デイケアにおいてどの程度重要視されるのか、それは、デイケアによる
のかもしれません。
 ただ、基本的に私の属するデイケアでは、看護師の判断を一つの基準とする場合もあります。

この日、私は現場にいなかったのですが、デイケアを担当するセラピストが、家族に対して
現状を説明し、Gさんの夫は、本人とともに、デイケア利用後に病院に行ったようです。
そこで、CT検査と血液検査を行いましたが、何か特に問題はないと病院のDrに判断されました。

 しかし、それから2日後に、再びこちらが迎えに行く際に介護スタッフが観察したところ、ベッド
からの起き上がり動作や、立ち上がり動作が、やはりいつもとおかしい。
と観察できました。
 ここで、デイケアにいる我々セラピストに、Gさんの自宅より職員から電話がありました。
ここで我々は、ご主人に救急車を呼んでもらうように進言しました。

 そして、再度病院に行き、今度はMRIの検査を行いました。その結果、再梗塞あり、
と判断され、Gさんはそのまま入院、となりました。

 この日、もし介護スタッフの観察がなければ、もっと対応が遅くなったとは思います。ただ、
それ以前に、もっと早い対応ができなかったものか、それはいろいろな反省をこめて思うところです。

 ただ、デイケアというところは、利用者さんを迎えに行き、連れてきて、限られた時間を施設内で
共にするだけですので、なかなか本人の小さな変化に気が付きにくい場合があります。
 今回は、ご主人は、Gさんが、何ともない、デイケアに行く、という言葉を信じていました。
Gさんは、基本的にはご主人が促したぐらいでは病院に行くような方ではなかったのです。

 ただ、Gさんはリハビリのスタッフの言うことに対しては、比較的素直な反応を見せる方でした。
今回、我々スタッフは、本人の調子の悪さに気がついてから少し時間をロスしてしまった上で、
最終的には脳梗塞を見逃していたことになりました。

 梗塞というのは、徐々に血管の詰まった状態が完成していくので、すぐにCTを撮影しても
すぐに梗塞巣が反映されるわけではありません。

 今回は、その状態変化に気が付きながらも、対応が遅れてしまった感があります。

世間的には、それは仕方ない、このタイミングでも早い方ではないか、という見方もあるかもしれませんが、
我々セラピストとしては、もう少し早い判断はできなかっただろうか、こちらの落ち度はどの程度
あったのだろうか、どういった判断が一番適していたのか、
そういったことが、今後我々の反省点になろうかと思います。

 利用者さんの身体機能の変化にいち早く気が付き、その変化に対して本人や家族に正しい助言を
与えられることは、非常にシンプルなようであり、非常に難しいことだと、
今回の事件に関してはつくづく思うところです。

床上動作  ショウジョウドウサ について

こんばんは。

 本日は、われわれリハビリのセラピストの中では、よく使う用語ではありますが、
一般的には??と感じやすい用語、‘ショウジョウドウサ’に関して述べたいと思います。

これは、どういったものか、というと、長くなるので、
細かいことはさておき、

①  ベッドや椅子に腰掛けた状態から、床や布団に座り込むまでの動作
②  床や布団に座ったり寝たりしている状態から、ベッドや椅子に腰掛けるまでの動作

この2パターンの動作をショウジョウドウサの具体的かつ主な流れとしてあげたいと思います。

 特に、後期高齢者の方々は、幼少のころから、和室にて布団で寝起きをしていたことがほとんどの世代です。
ですので、たとえ脳卒中や大腿骨頚部骨折などにより、上記のような動作が困難な状態になっても、
最終的に和式での生活を送りたい、布団で寝たい、と希望をする方が多いのです。

 また、①・②の動作が嫌でも必要となる場面は、これもよく聞くお話ですが、
高齢者のベッドや椅子からのずり落ち(我々は転落と呼んでいます)、そして、転倒 です。

 何かしら疾患を持ち、身体機能の低下をみる利用者さんが自宅で生活する際に、
もっとも気をつけなければならないリスクの上位に、転倒・転落はあげられます。

 さて、上記に脳卒中と大腿骨頚部骨折という2つの病状をあげましたが、
これらは、われわれセラピストが、その疾患をもつ利用者さんに対してよく床上動作を指導する
2大疾患と呼んでよいでしょう。

 床から立つのも、床に座り込むのも、どうやったってできるだろ、と思うのは
当然健常者の感覚ですが、
床での視線の高さ、重心の高さ、心理的な安定感から比べると、
ベッドでの座位や立位などは、かなりの不安定性を持つわけです。
それを感じるようになるのは、上記のような身体機能になって初めて、という方がほとんどなわけです。

 さて、今回は、脳卒中により、右半身の運動麻痺を上肢と下肢に生じた利用者さんの例をとって、
①の動作を見ていきたいと思います。

 まず、床上動作をするうえで、確認すべきは、端座位がとれるか、
 次に、長座位(足を投げ出して座る)ができるか、ということです。
そして、その後に、下肢や体幹の筋力についてや、立ち上がり・立位能力を評価します。

 片麻痺の利用者さんは、麻痺側の足をしっかりと伸ばして座ることは困難な場合がおおいため、
長座位といっても、きれいな座り方でなくてもかまいません。
ただ、その姿勢を少しも維持できない人に、①・②といった動作を指導しようとしても、
介助量がただただ大きくなり、その動作自体を目標にする意味があまりなくなります。
今回の例では、端座位がとれ、股関節や膝、足関節の可動域がある程度保たれている人、ということにします。

 さて、この方は右麻痺なので、左脳(言語理解や発話もつかさどります)に障害を受けていることも多いため、
教えるほうも、言葉だけでなく、視覚的なフィードバック、
つまり、自分でやってみせてから、相手に教えるという姿勢が必要となります。

< 立位 から ベッドへ手をつく>

 まず、ベッド端座位から、一度立ち上がり、時計と反対周り(つまり左回旋)してベッドと対峙し、
左手をベッドマットにつきます。 
このとき、その人がバランスがよければ体の中心に近いほうに手をつきますが、
感覚障害の強い人などは、無理せず、体の中心より左側の位置を目指してベッドマットに手をつきます。

 次に、膝折れをしない程度の麻痺の人であれば、できる限り重心を下げるため、
腰をかがめ、膝を軽く曲げていきます。
右の足関節が筋の緊張の強いかたの場合は、痛みなどの訴えがあるため、無理はできません。

 このとき、両足と左手で、三角形の支持基底面(三点で体を支える面)をつくるので、
より安定させるために、場合によっては足を広げたり、手を前に出したり、左足を少し下げたりして調整します。

< 片膝立ち >

 次に、左足を少しずつ後ろに下げ、そっと膝をつきます。
このとき、手の支えが十分でない場合は、手のひらだけでなく、肘をベッドマットに落として、
体をなるべくしっかり支えてください。
 この垂直方向への動きがなかなかやっかいで、
人によっては、がくっと勢いよく左膝をついてしまったり、怖くて動けなくなったり、
手に力が入りすぎてなかなか左膝をつけなかったりします。

この時点で、右膝は片膝立ちのような形になっているはずです。
ただし、麻痺側ですので、きれいな片膝立ちとはいかず、
股関節や膝が無理に曲げられた痛みを訴える方もいらっしゃいます。
また、右足関節の振えが出現するようなケースもあります。

< 両膝立ち >

 よって、その後は、なるべく速やかに両膝立ちの姿勢をとらせます。
つまり、右下肢も左と同じように膝をつかせます。この動きには、麻痺の程度によっては介助を要します。
この両膝立ちも、麻痺側の膝に体重をある程度乗せていないと、不安定なものとなります。
そのあたりはセラピストによる分析が必要となるポイントです。
体幹の筋力がない方などは、両膝立ちの状態で体が前方のベッドマットにつんのめってしまう方も
います。

 さて、その後、正座をしてしまうと大腿部前面の痛み(筋肉が引き伸ばされることでの痛み)
を訴えるかたが多いので、
正座はさせずに、そのまま左側に体を回し、左手を今度はベッドマットから床の上に落とします。

< 床上 に 片手 と 両膝 >

 この時点で、手と両膝の3点が、床の上につきました。
あとは、この3点で支える四つ這い(表現がちょっと難ありですが) の姿勢から
左の腰をまずゆっくりと床に下ろすように動かしていきます。

< 床上に 片手 と 腰 ~ 横座り ~ >

 とにかく、非麻痺側(ここでは左の方)、非麻痺側へと重心を誘導し、
重心の高さを下げていくわけです。

 この時、人によっては、どすんと左腰を落としてしまい、かなり痛い思いをする方がいます。
よって、そっとおろすことが難しい場合は、手のひらだけでなく、ここでも肘をついて、
前腕全体で体を支えてから左の腰を床に下ろします。

< 長座位 >

 その後、体をそのまま右回旋して、長座位の姿勢をとります。

 あとは、寝ようが、胡坐をかこうが、掘りごたつへ足を入れようが自由です。

 さて、上記のように文章だけで①のパターンを述べましたが、かなりの長文になってしまいました。
そして専門的な話にもなってしまいました。

 臨床をやっていると、こういった動作は、本人の理解や習得の程度、本人の動きのくせ、
本人の非麻痺側の筋力、各姿勢での痛みの出方、下肢の関節の可動域、感覚障害の程度、
ベッドの高さと本人の身長、重心コントロールのうまさ、など、いろいろな要素において、工夫が
必要となります。場合によっては、右下肢の動きが良い人の場合は、
先に左足を後ろに引いて片膝立ちをとらずとも、右膝からついても平気な場合もあります。

 最終的にはその人にとってより安全で、リスクが少なく、繰り返し行える動作を考えることが
大切となります。 今日はここまでとさせていただきます。


芸は身を助ける

こんばんは。

 本日は、腰部脊柱管狭窄症の元教員であるWさん(以前、夫婦の話において取り上げた方です)
のお話ですが、そのお兄さんに関するものです。

 Wさんのお兄さんは、現在94歳とのことですが、一人暮らしをしており、週に3回のヘルパーによる
家事援助以外には、長女さんが週に1-2回訪れるのみです。
 Wさんのお話では、現在に至ってもかくしゃくとしていて、耳が遠いということ以外はあまり
悪いところもないお兄さん、ということでした。
 Wさんは、お兄さんを敬愛しており、戦争がさらに兄をたくましくした、と述べていました。

 さて、そのお兄さん、戦時中は、現在の中国の河北省あたりに向かって進軍していたそうです。
そして、7回の中国軍との遭遇戦を生き延びて終戦を迎えたとのことでした。
当時、かなり大きな機銃が活躍したような印象を私は持っていましたが、実際には、
現在の拳銃くらいの小型のものを使用していたとのことです。
お兄さん本人はかなりの腕だったとのことで、一人で四人の敵と戦って、倒したと
本人からWさんに説明したとのことでした。

 終戦を迎えた時は、そのような死地を何度も経たお兄さんたちは、北からはソビエト軍、
南からはアメリカ軍に囲まれて、軍隊はそれぞれ捕虜としての北に南にの運命をたどったようです。
 もしここでソ連の捕虜になっていたとしたら、お兄さんはシベリアに連れて行かれたとのことです。
シベリアでの捕虜生活の苛酷さを物語るドキュメントはいろいろあります。
お兄さんの部隊は運良くかどうか、アメリカ軍の捕虜という形となったようです。

 その時、アメリカ軍より、英語が話せて通訳できるものはいるか?と聞かれたとのことで、
少し英会話のできたお兄さんはここで挙手をし、見事試験に合格したようです。
挙手した人は大勢いたため、ある程度の会話レベルをチェックされたようです。

 日本軍はとある大きな川の上流において、アメリカ軍に管理されていたようで、
通訳であるお兄さんは毎日、その川の上流と下流、つまりアメリカ軍の駐屯地と
日本軍の捕虜の生活する場所を行き来していたようです。

 お兄さんはその後、憲兵としても立候補し、日本軍を管理する日本人として、
日本兵からはどう思われていたかは置いておいて、アメリカ軍にはかなり重宝された
とのことでした。
 アメリカ兵ともだいぶ親しくなり、川の下流から上流へ戻るときには、ポケットいっぱいに
缶詰やその他の食料を詰めて帰ったとのことでした。

 そして、最終的に日本へ帰り着くにあたっては、当時日本では手に入らないような
フワフワとした毛布や、柔らかい肌着をリュックサックに詰め込んだり上に載せたり
して帰ってきたとのことでした。

 実家に戻ったお兄さんをみて妹であるWさんは、最初誰だかわからなかったそうです。
そう、お兄さんはでっぷりと太って、顔の肉付きもかなり良くなっていたとのことでした。

 この話を聞いて、お兄さんはある意味、うまく身を処したと思いました。お兄さん本人は、
芸は身を助く、と常々Wさんに語っていたようです。

 後日談としては、Wさんの実家の側には、貧しい子沢山の家族が住んでいたとのことですが、
その家族の子供数人が病床にあると聞き、お兄さんは持って帰った毛布をその家族に差し上げ、
また缶詰やらなにやらを、どうせアメリカからただで貰ったものだから、と、その家族に分け与えた
とのことでした。

 その家族の子供は順調に病気から回復し、それ以後、Wさんがその家の近くを通るたびに、
子どもたちが一生懸命手を振ってくれたことがかなり記憶に残っている、とのことでした。

 ちょっとした運、ちょっとした得意分野、そして時としては図々しく自己主張、こういったものが
Wさんのお兄さんの運命に絡んできていると、Wさんはしみじみ語っていました。

 

嘔吐とくれば

こんばんは。

 ノロウィルス、この言葉は、デイケアにて働く介護職員やリハビリスタッフにとっては、
なかなか恐ろしい響きをもちます。もちろん、デイケアだけでなく、デイサービスなどその他の
介護施設にとっても、いろいろと神経を使う症状の一つでしょう。

 先日感染症に関しては少し述べましたが、感染に対するリスク管理に関しては、
残念ながら、病院の方が一歩先んじています。
介護分野においては、感染のリスクは感じてはいても、その人の日常生活へのケアが優先される
ため、感染の可能性を吟味されない場合も多いと感じます。
 最も怖いのが、職員の、まぁ大丈夫だ、という感覚的なものだと思います。

 さて、ノロウィルスは、秋から冬場にかけて発生すると思い込んでいる人も多いと思いますが、
実際には年中発生リスクがあります。
 
 先日、デイケアにおいて、車で利用者さんを送迎する場面において、
車の中における嘔吐事件がありました。 その時、利用者さん本人は、車に酔った、というようなことを
おっしゃっていました。
 ただ、その後その利用者さんの隣の座席に乗っていた利用者さんが、下痢と嘔吐の症状のため、
デイケアの利用をおやすみされました。
この時は、結果としては問題とはなりませんでしたが、内心ほんとうにヒヤヒヤしていました。

 ノロウイルス感染症はウイルス性食中毒の代表とも呼ばれる感染症であり、
厚生労働省の調べでは、感染者数が年々増加傾向にあるウイルス性食中毒として
危険性が示唆されているウイルスでもあります。

 ノロウイルスは、なかなか死滅しにくいウイルスである点も大きな特徴のひとつです。

 塩素や熱に対しては比較的強い耐性をもっているウイルスであり、
水道水に含まれている塩素などでは死滅することはありません。

 食中毒の対策として加熱調理をした場合でも、60度程度の温度では実に10分以上加熱したとしても
ノロウイルスは死滅しないで生存できるというデータも確認されているようです。

 人体に侵入したウィルスは、人体の中にて増殖し、糞便や嘔吐物として体外に排出されます。
この作用自体は、人間のもつ浄化作用なので、それをあえて妨げる必要はないのです。

 ただ、その排出されたものからの感染は、極力防ぐ必要があります。

 よく、集団感染するような施設では、
誰かが嘔吐した → 皆でわ~とその人の元へ駆けつける → とりあえず嘔吐物なりを吹く
→ 本人をベッドや車椅子や椅子に移動させる → ナースや医師を呼ぶ

などのステップを踏むことが多いようです。

 基本的には、感染リスクを意識して、どんな季節であれ、ある程度の感染予防が必要となります。

まずは、その場に わーと皆で行かないこと。 つまり、その日の担当者のような人を決めておいて、
2名程度の人がその利用者さんと絡み、ゴム手袋や塩素系漂白剤などの準備をした上で、
その人の嘔吐物を処理することが大切です。介護職皆で対応してはいけません。

 複数で行った場合は、とにかく大勢の人がキャリアとなる可能性があります。
よって、その場である意味犠牲になる介護者を、きちんと割り振っておくことが大切です。
そして、その関わった人たちは、全力で予防や対処を行うことが大切です。

 ある特養やショートステイの施設では、やはり、その初動によって、キャリアが多く生まれてしまい、
被害が拡大していき、職員も利用者も共倒れ、という結果になりました。
看護師が菌を運び、利用者が運び、場合によっては見舞いに来ていた家族が運び、となるわけです。

 介護分野の施設では、職員が食品を取り扱うことも多いため、かなり注意が必要となります。

 ウイルスは感染していても症状を示さない不顕性感染も認められていることから、
たとえば、家庭の中に小児や介護を要する高齢者がおり、下痢・嘔吐等の症状を呈している場合は、
その汚物処理を含め、トイレ・風呂等を衛生的に保つ工夫が求められます。
また、常日頃から手洗いを徹底するとともに、食品に直接触れる際には
「使い捨ての手袋」を着用するなどの注意が必要です。

 調理施設等の責任者は、外部からの汚染を防ぐために客用とは別に従事者専用のトイレを設置したり、
調理従事者間の相互汚染を防止するためにまかない食の衛生的な調理、
ドアのノブ等の手指の触れる場所等の洗浄・消毒等の対策を取ることが大切です。

 こういった考え方は、リハビリスタッフなど医療現場などにて働いた経験から感染に関する知識があり、
リスク管理ができる立場の人々が、
介護分野の職員に関して、リスクに対する危機感をあおっていかなければなりません。
どうしても、現場では、大丈夫いつものことだ、という空気があるからです。

 そのために、我々セラピストは、利用者さんの嘔吐や下痢といった症状に関しては
常に感染の可能性を含めて接していく必要があると考えています。
本人や家族に十分説明して、利用者さんの身体をゴム手袋をして触ることも仕方ないことなのです。

 基本的には、うがい、手洗い、この2点です。

 床等に飛び散った患者の吐ぶつやふん便を処理するときには、
使い捨てのガウン(エプロン)、マスクと手袋を着用し汚物中のウイルスが飛び散らないように、
ふん便、嘔吐物をペーパータオル等で静かに拭き取ります。
拭き取った後は、次亜塩素酸ナトリウム※(塩素濃度約200ppm)で浸すように床を拭き取り、
その後水拭きをします。
おむつ等は、速やかに閉じてふん便等を包み込みます。

 おむつや拭き取りに使用したペーパータオル等は、ビニール袋に密閉して廃棄します。
(この際、ビニール袋に廃棄物が充分に浸る量の次亜塩素酸ナトリウム※(塩素濃度約1,000ppm)
を入れることが望ましい。)

 また、ノロウイルスは乾燥すると容易に空中に漂い、これが口に入って感染することがあるので、
嘔吐物やふん便は乾燥しないうちに床等に残らないよう速やかに処理し、
処理した後はウイルスが屋外に出て行くよう空気の流れに注意しながら
十分に喚気を行うことが感染防止に重要です。

お寺の梵鐘

こんばんは。

 本日のお話は、戦時中の一場面、供出の話です。
このお話をしてくださったのは、肝硬変・肝臓癌の利用者さん、Kさん78歳のお話です。

 供出・・・この言葉、皆さんはどんなものを思い浮かべるでしょうか?

正直、私は、この言葉から連想するものは何もありません。言葉自体、あまりピンとこない感じがします。

 辞書などでは、

 戦時体制下などで,法律により食糧・物資などを政府が民間に一定価格で半強制的に売り渡させること

 とあり、コメの供出、という言い方もあるようです。 

 ここでは、 金属供出 についてのお話について述べていきます。

 終戦までの数年間、天然資源を持たない日本が武器・弾薬を作成するために
必要となる鉄や金属類はかなり不足している状態となったのでしょうか。
 供出という名目のもと、各家庭から、鍋類や、アクセサリーなどの貴金属類、そして、門扉や家の囲いや、
庭の一部に使っている金属類の柵など、すべてのものが対象になったそうです。

 Kさんの家の近くにはお寺がいくつかあり、お寺の鐘の音が美しかったとのことでしたが、
いつのまにやらその鐘の音が聞こえなくなったかと思うと、
寺の鐘まで供出となっていたようです。

 Kさんの実家は代々士族であったため、武士の命ともいえる刀、なぎなた、槍などが、
自宅の欄間の横に飾ってあったらしいです。
 軍の小さなトラックがきて、それらの金属類を回収していくのですが、さすがに
先祖代々の形見ともいえるそれらの刀類に関しては、集められた後に家族の人が
取り戻したいと、意を決して行方を追っていったとのことでした。

 ただ、結果としては、戻ってくることはなかったとのことでした。
 
 戦後になって、近くの寺から集められた鐘は、そのままの形で、再びお寺に設置され、
使われたとの事でした。
その当時の日本では、かき集めた金属類を鋳造しなおすだけの燃料すら
なくなっていた、というのが現実らしいです。

 Kさんとその家族は、形見の刀も戻ってくることを願っていたのですが、
そのことは叶いませんでした。

 当時はまだ、士族の家系の子供たち・孫たちというのは、社会的にはある意味、
誇るべき何かであったようです。Kさんはその当時まだ小学生くらいだったとのことですが、
親や祖父母は悲しんでいたとのことでした。

 このような話は、Kさんに限らずほかの利用者さんからも聞くことがあります。
‘供出’という言葉自体、私たちにはあまりイメージを伴うものはないのですが、
戦時を知る方々にとっては、それぞれがかなり具体的なものや出来事を思い起こす
言葉のようです。


怖い感染について

こんばんは。

 今日は、訪問リハビリ、通所リハビリの分野にかかわらず、
よくある 感染 のリスクについて述べたいと思います。

 私が病院にて勤務していた時は、患者さんは、病院側の準備した環境、
つまり、ベッド、シーツ、枕、トイレ、風呂、など何をとっても、病院の責任の範囲内にて
掃除を行い、衛生環境へ留意し、ある程度の清潔を保っている中での生活を送ります。

よって、病院の中にて、いわゆる院内感染となるケースは、MRSAやC型肝炎、緑膿菌など、
かなり限られた条件での感染に限られます。つまり、薬剤に対する耐性を持った強力な菌が
横行する場合が多いのです。

 一方で、現在のようにデイケアや訪問リハビリにて勤務していると、感染リスクとして名高いものは、
疥癬という皮膚感染症です。疥癬には、通常疥癬とノルウェー疥癬という2種類あって、
とくに怖いのが後者です。

 疥癬について調べると、
 < 通常の疥癬はせいぜい1患者当たりのダニ数が千個体程度であるが、
    過角化型疥癬(ノルウェー疥癬)は100万-200万個体に達する。
    このため感染力はきわめて強く、通常の疥癬患者から他人に対して
    感染が成立するためには同じ寝具で同衾したりする必要があるが、
    そこまで濃厚な接触をしなくても容易に感染が成立する >

というような説明がすぐに見つかります。
疥癬は、ダニが皮膚にトンネルを掘って潜んでしまい、痒みなどにて症状を発します。
潜在期間は通常疥癬なら1-2ヶ月後、ノルウェー疥癬なら4-5日にて発症します。
皮膚科に行った場合は、実際には指の間や外陰部など、いくつかの場所で皮膚の
一部をとって、検査をするわけです。血液検査では判明しません。

 よって、自分の周囲のリハビリスタッフの経験談ではありますが、皮膚科に行っても
見逃される場合も多いようです。発見率は10ー60%と、かなりムラがあるようです。
たぶん大丈夫だろう  
このような感覚でリハビリに取り組んでいるスタッフが大勢いると思います。
検査でも見逃される場合もあるということは、気がついた頃には、かなりの利用者さんの
身体に触れている、ということになります。
 私のよく知るスタッフも、判明するまでに3箇所の皮膚科を受診しました。

 我々が注意しなければいけないのは、この感染は、なかなか防ぎようがないことです。
前もって、往診医から情報を得ている場合は、その利用者さんをリハビリする場合に、
本人は不快ではあるでしょうが、ゴム手袋をさせて頂いてから、本人の皮膚に触れます。

 ただ、なんとなく本人が痒い痒いと言っている。一方で、Drの診断や指示はない。ただ、
なんとなく自宅の寝具やシーツが、長らく取り替えられている様子がない。
 
 そういった場合は、本人が既に感染元となるダニを持っている可能性があります。
本人に悪気はないのでしょうが、その利用者さんがキャリアとなり、他の人々に感染させて
しまう可能性はおおいにあります。

 我々リハビリセラピストは、その可能性を十分認識しながらも、自ら感染してしまい、
また、他の利用者さんへのキャリア(その人へ菌を移してしまう橋渡しとなってしまう)と
なる可能性もあるわけです。

 我々セラピストは、そういった経験を、自らの経験からか、同じ職場の職員からか、
何かしら経験があるかと思います。ただ、発見された時はすでに遅し、他の利用者へ触れていたり、
自分自身の痒みが出ていたりするわけです。

 多くの職場では、職員が感染した場合は、疥癬やインフルエンザ、ノロウィルスなどの場合は、
会社負担として療養の義務から外れる場合が多いのです。つまり、我々が利用者さんから感染した
としても、会社はいっさい面倒を見てくれず、会社による治療負担もなく、
結局我々は、有給休暇を消化して、その感染をゼロにするまでは自宅待機をすることが多いわけです。
 
 このように、利用者さんの自宅環境や衛生環境などから生じうる感染リスクに対して、
我々セラピストは意外にも無防備となる場合が多いわけです。
 病院のように、すぐにでも検査ができる環境にもないわけです。

 私も、現在の職場においては、最低でも一週間は完全に休めるだけの有給休暇を確保した上で、
休暇を申請しています。
 感染リスクをあまり気にし過ぎると、なかなか訪問リハビリや、デイケアでの仕事はできません。
ただ、リスクを十分認識した上で、手洗いや予防的な衛生環境を得ることは、我々セラピストにとって
かなり大切なことになります。

 自分が感染し、配偶者や子供に移し、となるとかなり厳しいものがあります。
また、アレルギーに関しても我々セラピストは敏感でなくてはなりません。
 特に訪問リハビリの場合、訪問先に猫や犬など、ペットが自宅にいる場合があります。
そういった動物に対するアレルギーがある場合は、当然訪問することができないわけです。

 我々セラピストが、いろいろなリスクを認識し、理解した上で、その上で各家庭にお邪魔し、
利用者と関わっていこうとしていることは、ぜひとも利用者さんやその家族も理解していただき、
少しでも自分たち発の感染が発生しないよう、各家庭においてもご留意していただきたいものです。

 いずれにしても、手洗い、うがい、洗濯、洗浄、それによって利用者も、セラピストも清潔を
少しでも保つことが、大切な概念となります。

 そして、それでも感染した場合は、無理せず人のいる場所へ出ないようにし、職場も休み、
またデイケアや訪問リハビリんの利用を休んで、少しでも自分発信の感染を広めないよう、
それぞれの自覚、強い意志、そして治療への努力が必要となります。

 


ポリオ ~根絶まであと一歩~

こんばんは。

 本日は、ポリオ後遺症の方について、述べたいと思います。
ポリオは、急性灰白髄炎とも呼ばれ、一般的な日本のイメージでは、
いわゆる  小児麻痺  という言葉が置き換えられていることが多いようです。
実際に、5歳以下の子供の罹患率が90%以上となります。

私の受け持っている利用者さんは、現在88歳の女性Mさんですが、この方は
例外的な発症年齢、 18歳  のうら若き乙女の時にポリオを発症し、
左右上下肢に弛緩性の麻痺が生じました。

 どちらかと言えば右半身の方が麻痺がひどく、下垂足(足を振り出す際に、足関節の筋肉が働かず、
足先が重力に負けて下に下がり、足を引きずってしまう状態) を呈していました。

 そこで、当時、Mさんの担当医は足関節の関節固定術という手段をとったようです。

 これは、関節の本来の性質である可動性を廃する手術で、関節痛の除去,関節支持性の獲得,
良肢位の保持,関節変形の矯正などの目的で行われる手術です。

 つまり、この時を堺に、Mさんの右関節は動かなくなり、
右足指だけは屈曲方向には動かすことができるようで、その機能だけが残存しています。

現在でも同じような対応となるかはわかりません。なんといっても70年以上前の話です。

 右下肢の麻痺によるバランス低下のため、過去に大きな転倒が繰り返されたことで、
現在は右膝関節のワイヤー固定術や、右大腿骨頚部骨折という手術を経て、
なんとか立位や歩行が可能な状態です。
 歩く時は、股間節を中心に右下肢を振り回すように歩いています。

 今回介護保険にてリハビリを開始するきっかけとなったのは、
以前手術した右膝のワイヤーの不具合があり、右膝の皮膚をワイヤーが突き破ってしまったため、
再手術によってワイヤーを抜去したという一件があったことです。(ちょっとエグいですが)

 さて、Mさんはポリオ発症後、国家公務員として仕事を続け、現在まで独身を通し、
自分の力で購入したマンションに暮らしている気丈な方です。
現在、食事などは宅配サービス、入浴はデイサービスの利用となりますが、
認知面の低下も歳相応な程度です。
 マンションから健常者であれば徒歩5分程度のところに主治医のいるクリニックがありますが、
そこに20分程度かけて、両手にロフストランド杖を用いて歩きます。

 ポリオの後遺症による左右上下肢の弛緩性の麻痺は、数年前から強くなっているようで、
本人も年齢とともに特に右上肢が上に挙げられなくなり、
重力に負けてダラッと下に落ちてしまうことが多くなったと述べています。
 冷蔵庫の中段以上には手が届かないため、上の段の方にはあまり物が入れられないのですが、
ヘルパーさんを導入することを拒み、自宅での生活を守っているのが現状です。

 リハビリにおいても、座位姿勢にて右上肢を持ち上げる練習をしますが、
2回も繰り返すとそれ以上は上に持ち上がらなくなるくらい疲労してしまいます。
 今後、本人の疲労度や運動麻痺の状態を観察しながらリハビリを行なっていく予定ですが、
一人での生活はなかなか厳しくなっていくと考えられます。

 Mさんいわく、
 ’急に人生が変わってしまったが、一人で生きていくと決めてからは、親や兄弟が本当に助けになってくれた。
特に、兄弟は自分の姿をみて、皆医者を志し、一人は本当に医者になり、
理解のある看護師さんを妻にして、本人は忙しくとも代わりによく自分のもとへ遊びに来てくれる。
自分の人生は幸せだ。’  とのことです。そう言い切れる人、すごいなと感じました。

 ポリオという病気自体は1961年より予防接種が開始されており、
1988年には世界125カ国において年間35万人の発症をみていたものが、
2012年では50例ほどになってきているとのことです。
パキスタン、アフガニスタン、ナイジェリアの3国にてポリオウィルスが常在しているとされているようです。
根絶まであと一歩といったところでしょうか。

 今後、Mさんがどうなっていくのか、私も全力でフォローアップしていく所存です。

母と娘であっても

こんばんは。

 本日は、少し深刻な話を書きます。まぁ、この仕事に関しては、あまりふざけた話をテーマに
書くことはないのですが、今回は、虐待の話です。

 私が担当していた利用者さんは、難病のパーキンソン病の女性、Tさん60歳です。

パーキンソン病の主な初期症状には、「ふるえ」「固縮」「無動」「姿勢障害」の4つが知られています。
この利用者さんは、50代前半よりパーキンソン病の症状が出始めており、
私が担当し始めてからも、徐々に身体の機能低下は進行していく方でした。

 パーキンソン病に関しては、基本的にはドーパミンという、脳内の黒質から線条体に向かう
情報伝達物質が低下してしまうため、それを補うための投薬を行います。
その服薬量はある程度は増やせ、そして増やした分効果が出てくるのですが、いずれ
同じ量の薬を飲んでも効果の時間や効果そのものが低下していきます。
進行の具合は個人差がありますが、Tさんに関しては、なかなか服薬にて病状を止められない
状態でした。

 パーキンソン病の症状のうち、姿勢障害というものは、少しバランスを崩しただけでも、
身体の重心のコントロールが困難となり、バランスを保つことができなくなることです。
立っていようが座っていようが、一度バランスを崩すと、手を出して身体を保護するまもなく、
見事に バタン と倒れてしまう例が多いようです。

 私の担当していたTさんは、夫と、30代前半の娘夫婦と同居していました。
夫婦には1歳の子供がいたので、私がリハビリをしている間、自宅にいる娘さんとお孫さんは
私とTさんのリハビリ風景を眺めていたり、娘さんは家事をしていたりしました。

 Tさんの部屋のすぐとなりに、部屋から引き戸にてすぐトイレに行くことができるように
住宅改修を行い、トイレが設置されていましたが、
ベッドから起き上がり、ベッドに座り、
ベッドから立ち上がり、ベッドまで2m程度歩き、下衣(ズボンなど)を下し、トイレ便座に座り、
トイレで用をたす。

 この一見簡単な行為が、歩行困難や、身体の硬さによる無動、とう現象により、
なかなか難しくなるのがまさにパーキンソン病の特徴なのです。

 娘さんは、訪問リハビリのたびに、お孫さんを胸に抱えて玄関まで送ってくれていました。
Tさんのご主人、つまり娘さんの父親は、重度認知症でもあり、部屋の中をいつもうろうろしていました。
リハビリの最中にTさんに触れている私の側で、何やってるんだ!と怒っていたこともあります。

 そのような環境の中、ある時期より、Tさんの顔面に打撲痕が残っていることがありました。
最初は、Tさんは、トイレで転んだ、頭から倒れた。と、説明してくれていましたが、
そういうことが何度か続いていて、私も介助でのトイレ動作にしては、転倒が多いことに気が付き、
怪しんでいました。
 ある時、リハビリの最中にTさんが泣きだしたことがあり、そのときにもTさんの顔面には痣が
あったため、私は二人だけの時を見計らい、本当のことをおっしゃってください、とお話しました。
 すると、静かにTさんは娘さんのいる部屋を指さし、そして、自分の痣を指さしました。

 それから、私はケアマネや往診している主治医、私の所属する診療所の医師と相談しました。
こういったものは、民事、事件、という側面があり、家族の問題にもなるため、
はいそうですか、では警察に、というわけにもいかないわけです。

 私も、最初に顔面に打撲があった時からの経過を細かく思い出し、カルテとにらめっこしながら、
Tさんにも少しずつ経過を思い出して頂きました。
 パーキンソン病の方は、意欲低下、不眠、食思低下、など、うつ病の症状が出るかたもいます。
よって、本人の発言に関しては、医療関係者以外の第三者からは、なかなか信憑性が高くない
ことが多いのです。
 
 結局、この家族とのやりとりは、一度介護保険の分野を離れ、役所の職員や、司法機関を軽く
巻き込みながら、話し合いが進みました。
 結論から言うと、子育てにて疲れきっていた娘さんが、ほとんど自宅に帰ってこない夫の援助が
あまりない中で、自分の認知症の父親と、難病の母親との介護に疲れてしまった結果生じたこと
だったということです。
 
 Tさんとその夫は、自宅を離れ、施設に入所しました。そして、その入所先を、娘さんは最初
は知らされないという処置が取られたとのことでした。

 高齢者への虐待というのは、何もニュースになるような、施設での介護職員によるようなもの
ばかりではなく、本人に対する直接的な暴力、ネグレクト、経済的な援助の放棄など、
いろいろな側面で起こりうるわけです。

 訪問リハビリでは本人の裸を見る機会は少ないですが、デイケアやデイサービスでは
入浴をする際、職員が本人の身体をチェックすることができます。
そのことが、本人の最低限の基本的人権を守る一助にもなるわけです。

 Tさんは、施設に行くことができないほどの状態であったこともあり、
訪問リハビリにて初めてこのような可能性が発覚したわけです。
その可能性を否定しない。この姿勢は大事だとは思うのですが、
なかなか、虐待かもしれない、という判断は、難しいことです。
そして、自分が同じ立場だったら、と考えると、さらに難しい気持ちになります。




恥かきっ子?

こんばんは。

 本日の利用者は、左橈骨遠位端骨折・腰部脊柱管狭窄症のIさん。94歳の女性。Iさんのお話です。

この利用者さんは、鹿児島の出身で、その後その地で結婚した後、突然夫が東京に転勤となり、
共に移った後、戦火がひどくなり、木曽に疎開を余儀なくされた方です。
結婚の時にもあまり夫の仕事がどんなものか、あまり詳しく知らされなかった時代ということで、
実はこの夫は、政府の諜報機関に所属していたようで、自分の所属や仕事内容など、
一言も妻には語らなかったそうです。また、妻もそのことを問わなかったようです。

 Iさんは、戦時中に年に2-3日しか夫と会うことはなく、時折連絡もなくフラーっと木曽の疎開先
に夫は帰ってきて、いつ帰るとも言わず、去っていくとのことです。
 Iさんには、二人の息子さんがいるのですが、その年に数日の逢瀬の都度、子供が生まれたと
本人はおっしゃっています。 ある意味すごいです。

 最初の息子さんを身ごもった後、出産日の少し前まで、Iさんは鹿児島にいる両親に、その事実を
伝えることができなかったようです。一つには連絡自体が困難だったこと、一つには、
結婚した際に両親の面倒を見ることになるはずだったIさんが、夫とともに実家を離れたこと
が影響しているとのことです。
 
 Iさんは、一人での出産、育児に不安を覚えたこともあり、願わくば両親のうち、母親だけにでも、
出産後のひとときを一緒に面倒を見てもらいたいと、臨月に連絡をとったようです。
 
 ただ、その時、実の母親もまさに臨月を迎えようとしていたとのことで、
子育てを手伝ってほしいと嘆願するIさんに対して、それどころじゃないこちらもあなたの兄妹が
できるんだ。と同じ時期に出産を迎える事実を告白されたわけです。

 Iさんは、その時のエピソードを振り返って、私の母は恥かきっ子ですよ。という表現をします。
実際には、40歳を過ぎて生まれた子供のことを恥かきっ子という時期や地域があったとのことです。
恥かきっ子?と私は初めて聞く単語に首をかしげました。

 Iさんは、親の協力を得られず、結局一人で子供を産み、一人で育てたとのことです。
あれ?戦後、夫は?と疑問に思う方もおられると思います。

 Iさんの夫は、諜報機関に所属し、すなわちスパイとして暗躍していたとのことで、
終戦後は東京裁判にB級戦犯としてかけられ、結果、終戦後、十五年以上、巣鴨にある
戦犯刑務所に入れられた、とのことでした。

 Iさんはその後、2人の息子を育て上げ、木曽の山の中で猛勉強をしたことが功を奏して、
建築会社の社長として活躍し、一軒家やアパートの外壁に防水加工を施す仕事を行ってきました。
夫が刑務所より出てきた後も、自分の仕事の一部を分け与えたようです。
また、それだけでなく、長男とその嫁の間に生まれた子供、つまり孫を育て上げました。

 長男と結婚した嫁は精神的に難があったらしく、子供はいらない、として何故か長男のもとを
離れ、その後数年して精神的に錯乱してしまいなくなったとのことです。
長男は長男で、子供を親に預けたまま、アメリカにわたってしまい、一人で一財を築いたとのこと
でした。

 なんともタフな人生を歩んできているものだと、思います。

先日、息子さんと同じ年の妹が自宅に遊びに来たのを喜んでいました。

そのIさんは、認知症もだいぶ進んでいますが、よく聞く言葉が、
私の人生波瀾万丈ですよ。  です。
 
 

お香と音楽と

こんばんは。

 本日述べる利用者さんは、腎臓がんのターミナルケアの利用者さん、Tさん42歳男性についてです。
本日は、私が訪問リハビリを始めてから、まだあまり経っていない頃の経験談になります。

この方は、余名6ヶ月と告知された状態で訪問リハビリの依頼があったのですが、
本人の主な訴えとしては、両下肢の浮腫・腹部の浮腫による基本動作
(寝返り・起き上がり・立ち上がり・立位動作)や歩行動作(実際には両松葉杖でした)の困難、
ということでした。

 訪問リハビリを開始した時点で、この方の場合は治療的な介入というよりは、
ターミナルケアとして、本人のがん性の疼痛を少しでも和らげること、
リンパ浮腫に対して少しでもリラクセーションが得られることが目的となっていました。

 Tさんに子供はおらず、奥様も40歳の方でした。

 初回、訪問すると、本人はベッドに臥床してぼーっとしており、
奥様は本人のベッドのそばでお香を焚き、オルゴール音楽をかけ、照明を暗くして、
私にベビーローションを手渡してくれました。

 本人の両下肢のむくみは、鼠径部から足先までかなりのもので、足全体がパンパンに腫れている状態でした。
両松葉にて移動するのですが、足の重さをコントロールするのが大変なようでした。
両下肢ともに浮腫んでいたので、以前はどの程度の足の太さであったかは想像するしかないですが、
一方で両上肢ともに筋肉質で細い方であったので、細マッチョといった方だったのではと思います。
病気に倒れる30代までは、運送業者にて宅配の仕事を行っていたとのことでした。

 この方のリハビリに関しては、浮腫の軽減とドクターより指示はありました。
浮腫自体は下肢をパンパンに腫れ上がらせてしまっており、
片足を持ち上げて膝を伸ばすストレッチを行うことにも、かなりの力を要しました。
皮膚にある程度の圧をかけると、本人は顔をしかめて ‘痛い’とおっしゃり、眉間にシワよ寄せていました。

 奥様からも、本人が気分が良くなるくらいでいいです。とのことでした。
結果的に私がこの方と関わったのは3ヶ月に満たない期間ではありましたが、その間、
まだ経験の浅かった私は、リンパの流れを良くしよう、少しでもむくみを改善しようと意欲的に取り組み、
利用者さんのパンパンの下肢に対して少し圧迫を強くしたり、
弾性包帯を軽くまいて関節可動域訓練(股関節や膝関節・足首を他動的に動かす練習)をしたりしました。
 
 結果的には、そのようなアプローチは利用者さんの痛みを強めるだけで、
気分が良くなったとか、気持よかったとか肯定的な反応を得るには至りませんでした。
 
 あるとき、利用者さんの奥様から、リハビリの後に痛みを訴えることもあるので、次回はお休みさせてください、
というような発言を受けることがありました。これには驚くと共に、かなり反省をしました。

 その後の介入方法に関して、私なりに考え、弾性包帯の仕様や、
用手的なリンパドレナージュの圧のかけ方を本当に軽めにしました。

 利用者さんは、服薬や、疼痛軽減のためのパッチ(麻薬性の経皮吸収型持続性疼痛治療剤ともいいます)
の使用により、本人はぼんやりしていることが多いのですが、
気持ちの良い場合は、下肢をほぐしだしてから3分程度にて、すやすやと寝息を立て始めます。
 
 そういった反応を見ながら、軽め軽めのストレッチとドレナージュを行いました。

 腹膜にも浮腫が広がっており、正直言ってどの程度の効果となるのか、
40分程度の訪問リハビリでは効果測定すらあいまいな気がしました。

 3ヶ月後、自宅での療養が困難になり、その2週間後には病院にて亡くなられたそうです。

 私としては、リハビリ後に少し痛みが残っていたので、次回はおやすみさせてください、
という奥様の言葉をなかなか忘れることができませんでした。
 
 訪問リハビリのセラピストとして、ターミナルケアへの介入は、非常に難しいと感じた経験でした。

 今後、日本などの先進国では医療技術の革新がもっと進んでくるでしょう。
その結果、脳卒中や心疾患、肺炎などの死因が減少していくことが想定されますが、
やはり癌という特殊な状態となることは、最終的に人間の宿命でもあり、
死因として大きな割合を占めていくことになるだろうと予想できます。
 
 一方で、ある意味、死んでいくための心身の準備ができるこの癌という病状を
悪いものだと決めつける必要はないとも思います。
 
 ただ、私のような職種としては、その人のターミナルにどのような形で関わっていくか、
本人だけでなく、家族との関わりの中で、どのような介入をしていくべきか、
本当に考えさせられる経験でした。若い頃の苦い経験談を暴露させていただきました。


口腔ケアについて

こんばんは。

今回は、理学療法士としての訪問リハビリではアプローチ上、限界のある
身体機能面に関して述べたいと思います。
つまり、嚥下機能・口腔ケア・義歯・構音障害などの分野に関してです。

 病院では上記のような範囲は言語聴覚士(Speech Therapist)がアプローチを行う分野なのですが、
介護保険の制度下では、言語聴覚士は、まだまだ地域で働いている人は少数であり、
言語聴覚士による訪問リハビリや、デイケアでの個別リハビリはまだまだ発展途上です。

 よって、簡単な嚥下訓練や構音障害へのアプローチは理学療法士や作業療法士が行っているのが現状です。
それらの訓練は、本人とのコミュニケーションがとれることが
その機能訓練を最大限に活かすために欠かせないのですが、実際には、
認知機能の低下している利用者さんも多くおり、そうなると、自主トレの習得や、
毎日のケアや訓練という誘導の仕方はかなり困難となります。
ただ、嚥下訓練に関しては、また後日述べていきたいと思います。

本日は、我々セラピストがその重要性を認識しながらも、
医師や看護師、家族にお任せしている面が多い口腔ケアに関して述べます。

 さて、一般的に、口腔内細菌と内科疾患との関連性や、
咀嚼の機能と老化・認知症との関連性など、
口腔環境が全身の健康と密接に関連していることはよく知られています。

 細菌のかたまりである歯垢(しこう)は、
ムシ歯や歯周病の直接的な危険因子であると同時に、
全身疾患を引き起こす可能性が高いです。
口の中の細菌が関与すると考えられる代表的な全身疾患としては、

・感染性心内膜炎、敗血症
・虚血性心疾患
・誤嚥性肺炎

などがあげられます。

 口の中は常に37℃前後に保たれ、唾液という水分があり、定期的に食物が通過するので、
細菌が増えやすい環境になっています。

 要介護高齢者は、口の中や義歯を自分で清掃することが難しくなるので、
口の中には細菌が多く棲息することになります。
しかも高齢になると口腔内自浄作用は低下し、口の中を清潔に保つことはさらに難しくなっています。

 口腔ケアの目的としては、以下のものがあります。

・虫歯や歯周病の予防
・口臭の予防
・味覚の改善
・唾液分泌の促進(口渇感の変化)
・コミュニケーション(構音障害)の改善
・誤嚥性肺炎など全身疾患の予防

そして上記の目的のために実施される口腔ケアが、

* 食べるという行為や意欲の促進、 * 認知機能の低下の予防  * 生活機能の改善

という、さらに大きな目的へとつながっていきます。

 実際に行うことはといえば、本人がある程度のケアを行える場合とそうでない場合
とに分けられますが、簡単に述べると、

 1 水でうすめたうがい薬をスポンジに浸し、歯と口腔粘膜をやさしくこすり、
   食べかすや歯垢を取り除く
 2 舌ブラシを曲げて、舌の奥から手前へ10回位軽く擦り舌を清掃する
   舌は傷つけないように気をつける
 3 うがい薬をつけた電動歯ブラシなどで歯を清掃する
   必要に応じて粘膜も清掃する
 4 うがい薬で十分うがいをする

 この時、誤嚥させないように十分注意し、入れ歯がある場合は、電動歯ブラシで入れ歯の清掃も行います。
入れ歯は汚れが付きやすく、微生物の温床になっているからです。

 私の所属するデイケアでみている利用者さんの中にも、義歯の方は大勢いますが、
その中でも、脳卒中の後遺症にて構音障害や嚥下機能障害の残る人
( 流涎(よだれ)の多い方 、食事中になかなか物を呑み込めない方)に、
来所後にうがいをさせたり、歯みがきをさせたり、義歯の掃除をしたりするだけで、
だいぶ状態が変わる場合が多いです。
 
 義歯などは、きちんと上顎と下顎の噛み合わせができていないだいぶ古いものを使っている方がかなりいます。
義歯のケアをするだけで、本人の身体状態や会話の聞き取りやすさは劇的に改善することがあります。

 また、私の訪問している利用者さんにおいても、脳卒中を5度経験され、
左右上下肢ともに重度の運動麻痺があり、現在は意識レベルも低く、
エアマットのベッドに寝たきり、胃ろうを増設している方がいらっしゃいます。
この方は開眼しているのですが、追視などはなく、音や光への反応も乏しい方でした。

 そのような方が、口腔ケアを始めてから数ヶ月経った後に、意識レベルは変化無いですが、
表情や顔色がよくなり、舌の状態も良好となり、血圧なども落ち着いてきました。
時々声掛けや光により眼球を動かしますが、その目の光、眼差しもしっかりしてきているのを
家族も私も感じることができています。

この方は胃ろうにより栄養を入れているので、口からものを食べるわけではありません。
よってある時期まで口腔ケアは行われていませんでした。
この時期に私の方も漠然と口腔ケアの必要性を見逃していたことは、後日深く反省することになったのですが、
ある時期から私を含めて看護師や医師と相談のもと、
口腔ケアを看護師により開始していただいたわけです。

介護している家族も、この変化には驚いています。
微々たる変化であっても、家族にとっては大きな悦びを伴う変化となりました。
本人はどう感じているのか、それはわかりませんが。


ALSのチャリティ

こんばんは。

 本日のNHKにても放映されましたが、現在、アメリカにて著名人が頭から氷水をかぶる動画が
アップされているようです。ザッカーバーグ、ビルゲイツ、スピルバーグ、レディガガなどなど。

 これは、元大学野球選手のピート・フレーツさんの発案で、7月末から始まったそうですが、
(彼もALSだそうです)
筋肉が萎縮し、身体が動かなくなる難病:ALS(筋萎縮性側索硬化症)の知名度を上げるため、
そして100ドルをALSの支援団体に寄付するためのチャリティ活動の一環だとのことです。

 ALSは、手足の先の方の筋力が徐々に低下し動かし難くなり、それが他の部位にゆっくり拡大進行する場合
に疑われます。これらは下位運動ニューロンの症状です。筋肉の表面が小さく痙攣するのも症状のひとつです。
これは筋線維束攣縮といいます。
さらに、手足だけでなく、しゃべりにくい、飲み込みにくいと云った、
舌や口の中の筋肉の動かしにくさ(球症状といいます)が見られてくるとALSがかなり疑わしくなります。
 一般的には、。手足から先に動きにくくなる場合が4分の3くらい、4分の1くらいの方は口から始まります。
最終的には手足と口の両方に障害が進みます。

 ALSは全身が動きにくくなる病気ですが、出にくい症状というものが6つほどあります。
そのうち4つを4大陰性徴候といいます。
①筋肉の問題では、手足やからだ・顔が全く動かなくなっても
 目を動かす筋肉が最終的にある程度は残ることが挙げられます。
②また、尿道や肛門をキュッと締める括約筋も筋肉ですが障害は受けにくいのです。
 すなわち尿や便が勝手にもれて、垂れ流しにはなりにくいということです。
③動き以外では、知覚障害・感覚障害が起こりにくいことが挙げられます。
 すなわち見たり聴いたり、あるいは冷たさや痛さなどを感じる感覚は最後まで残ります。
 ですから自分では動けないけれども全て周囲の状況が分かってしまうということで
 精神的なストレスは大きくなります。
④徐々に寝たきりになって行きますが、いわゆる“床ずれ”が出来にくいという特徴もあります。

 身体が動かなくなるのに、一方で感覚や認知症の問題は生じない、というのは、
ある意味過酷な状態です。

 ALSの推定人数は、今のところ日本で大体6,000名から7,000名くらいと言われています。
発症年齢は平均59歳、男性の方が1.5倍くらいの割りで多いということですが、これは
日本だけでなく、世界的にも同じような比率だそうです。

 根治を期待できる治療法がない中で、我々セラピストは、その利用者さんの身体機能に
対応して、いわゆる対処療法的な介入を行っています。

 そもそも、ALSの患者さんは10万人に一人程度の割合でもあるため、それほど多く
お目にかかることはありませんが、そういった難病に特化した訪問リハビリ・訪問看護の事業所
は存在します。経営者自身がALSを抱えているような事業所もまれにあるのです。

 さて、これらALSの利用者さんは、進行すると、呼吸が困難になり、
人工呼吸器をつけるというのが一般的な経過です。
また、手足の力がなくなるのと同時くらいに言語障害、飲み込みが悪くなるという場合もあります。
 
 よって、リハビリのセラピストだけでなく、本人はもちろん、医師や看護師、ケアマネージャ、家族
場合によっては、ALS協会など専門性のある分野のスタッフと協力して、その人の予後を
考えていきます。
 
 2-5年程度にて状態が悪くなり、半数以上が亡くなることになるわけですが、
兎にも角にも、コミュニケーションをいかにして確保するか、が問題になります。
 少なくとも、本人が口頭で意思表示が出来る場合を経過すると、文字盤や、
コミュニケーションボード(いくつかの文章や、絵の中から、本人が適当なものを選択する)を
用いて、それを指さしてもらうこともあります。
 ただ、この段階においては、人工呼吸器の導入や、エアマットの導入により、本人は
寝返りをうったり、腕を重力に逆らって持ち上げたり、が困難になってくることが多いです。

 イエスかノーか、そのことだけでも、家族や医師、看護師、セラピストは聞き取りたいと
考えます。そのための最終的な判断基準として、利用者さんの身体の動きの中で、
残っている部分を利用した 入力スイッチ が非常に有効となる場合があります。

 これは、本当に個人差があり、個々人の残存能力や、周りの環境などに左右されます。
ホーキング博士は、世界的な理論物理学者であると同時に、
世界で最も有名なALS患者さんの1人です。彼はコンピューターを使用して、指先で文書を
選択し、その文章をスピーチシンセサイザーに送り、発声することができるわけです。

 一般的には、発声までの装置は使用しなくても、残った機能、主には指先や、首の動き、
眼球の動き、舌の動き、更には、肛門の動き によって、意志の疎通を行います。
そのスイッチ一つとっても、踵や足先でプッシュするタイプ、手指で押すタイプ、
舌先で押すタイプと、非常に少ない負荷でも反応するセンサータイプが、
さまざまな形状にて工夫されるわけです。皮膚に帯電している電気に反応するような
繊細なタイプのスイッチも使用されています。

 実際、このようなスイッチは、数g~数十gの負荷にて作動するものもあり、
本当に驚くほど繊細なものであることが多いです。

 実際には、スイッチ装置自体は市販のものとなる場合が多いですが、本人の手のひらや
指先にあったかたちに加工するのはセラピストや家族である場合が多いようです。
ここまでくると、どんなアイディアであっても、本人が使いやすければそれでいいわけです。

 筋肉の振戦(ふるえ)を生じる利用者さんも多くいるため、そういった人には、少し強く押して
いただければ反応するようなタイプのスイッチもあります。こういった装置は、脊髄小脳変性症や
小児麻痺の利用者さんにも有効なものとなります。

 以上のように、最終的にはコミュニケーションの問題が生じてくるこの病気ですが、
それ以上に、本人や家族の精神的なケア、これが非常に難しい問題となります。
本人は認知面の低下がないだけ、病気の受容に関しては時間を要します。
そして、自己否定や怒りなどの過程を、セラピストも直面しなければならない場合もあります。
徐々に気難しくなり、本人のイライラは誰に対しても向けられてしまう場合もあれば、
非常に無気力になってしまう方もいらっしゃいます。
 これら進行の早い難病の方々に、いつまで在宅にて付き添えるかは、予測できない面もありますが、
本当に難しい対応を迫られる場合が多いです。

 ただ、訪問リハビリにて少しでも身体機能面に寄与できる部分で、大きな点は、
身体が動かせない利用者さんの身体を少しでも動かし、血流をよくし、背中に少しでも
風を通してあげること、それだけでも、いくらか本人の気分はスッキリするかと思います。
どんなに気むずかしい人であっても、身体を少しでもほぐしてあげること、これが、
感覚を残した利用者さんへのアプローチとしては基本的な姿勢になると考えています。
(普段は寝たきりで寝返りもできず、背中に汗をびっしょりかいているわけですから)

 今後、この病気に対する認識や理解、協力が広がることを願っていますし、
アメリカでのパフォーマンスのような形が、日本でも広がることを願ってやみません。

 


 

統計から見る現状・一考察

こんばんは。

今回は、新聞等の情報を元に、数字の上で現在の日本の医療・介護の状態を俯瞰していきたいと思います。
主に見るのは、 人口 、そう、人の数 です。
*******

介護保険のサービス受給者
         2013年度   566万500人 (前年度 4.2%up 2001年度の 1.9倍)

日本の人口
          2013年  1億2730万人 (2008年 1億2808万人がピーク)

今後の人口
 パターン①  2110年  1億1404万人  (2030年に出生率2.07  2015年より毎年20万人移民)
 パターン②  2110年    9661万人  (2030年に出生率2.07)
 パターン③  2110年    4286万人   何もしない(出生率1.43)

 * 出生率が現在のままなら、2048年に1億人を下回る計算。

65歳以上の人口 : 2010年 2948万人 (全体の23% )
              2040年 3867万人 (全体の36% )
  
             (そのうち首都圏(東京神奈川埼玉千葉)1119万人
                       東京の高齢化率     33.5%
                    関西圏(大阪京都兵庫)    519万人 )

15歳~64歳の生産年齢人口   2015年 全体の60.7%    65歳以上 26.8%
                      2030年 全体の58.1%    65歳以上 31.6%
                      2050年 全体の51.2%    65歳以上 39.4%

社会保障費          2013年    約38兆円(国・地方)
                 2017年    約45兆円(国・地方)

世界の人口
                2013年    72億人 (アフリカ:11億人 アジア:60歳以上11%)
                2050年    96億人 (          アジア:60歳以上24%)
                2100年   109億人 (アフリカ:42億人 )
世界の出生率
                1950―1955年  平均値 :4.97
                2005―2010年  平均値 :2.53
                2095-2100年   平均値 :1.99

世界の認知症患者数 (国際アルツハイマー病協会)
                2013年  : 約  4400万人
                2050年  : 約 1億3500万人

*********

 人口に関しては、他の資料によると、戦後の1950年代から、政府機関によって、
現状のようになっていくことは分かっていたようです。その結果、現状通りになっている。
 まぁ、そう考えると、今後の人口推移に関しても、移民を受け入れれば、などの仮定は
なかなか楽観的な考えと言わざるをえないでしょう。
 4000万人台とはいかないまでも、6000万人程度には日本の人口は推移していくの
ではないでしょうか。私の尊敬する養老猛司さんや池田清彦さんなども、そもそも日本の
人口はその程度で調度良いと述べていたような記憶があります。

 先進国は、どの国も少子高齢化の問題を抱えています。
日本では、2025年までに、最大100万人の介護人材が不足すると推計していて、そのために、
人材をフィリピンなどの東南アジアの国々から連れてこようとしています。
ただ、ここでも競争原理が働きます。
 ドイツなどのヨーロッパの先進国では、国が積極的に東南アジアの人材を登用していく方針を
既に立てていて、その人材に対して、言語の学習や、資格取得時のフォロー、そして
給料もしっかりと確保するとしています。
 
 日本の介護職が20ー25万円の月給にて採用されているとすると、ヨーロッパでの月給は
25-30万円程度になるというような、待遇面での差も以前テレビで取り沙汰されました。
特に、言葉の壁の問題もあるのでしょうが、日本だと、看護師や介護士になりたくても、
言葉の習得のフォローが少なく、また、試験の壁も高く、結果として、日本にとどまって活躍
できるアジアの人材は限られてしまっています。
 一方で、ヨーロッパの国々は、その人材を留めるための努力を日本以上に行っているようです。
そうなると、今後の医療・介護の人材確保は、国際的な競争の中で行われることになるでしょう。

 その前に、まずは国内の日本人の介護職や医療職の人材をきちんと確保していくことが大切です。
一般企業に就職して、仕事をしていたほうが、コメディカルや介護職よりよほど良い給料がもらえ、
また、身体が楽なのであれば、なかなかこの分野に人材はとどまっていないはずです。
特に、今後、高齢社会を突き進む日本では、若くて優秀な人材の確保が、今後は今以上に厳しく
なるはずです。
 
 まぁ、ここでの一考察の結論的には、現職の我々セラピストや、介護職の職域を守り、給料面や
報酬(保険点数)面をある程度の水準に保っておかないと、今後、こういう分野での働き手は
いなくなってしまうだろう、とのことです。
 出生率どうこうは、なかなか個人レベルでの努力では難しいですし、議論している議員さんたちが
どこまで本気で自分たちとかなり年の離れた世代のことを考えているか、怪しいものです。
よって、人口の推移は、どうしようもないことですし、この50年から100年の変化はそのとおりになるでしょう。
 ただ、200年、300年のスパンで考えると、またこの変化は一時的なもので、落ち着くところに
落ち着くのでは、という気もするのです。
 このことは、私個人だけでなく、上述した先生方も述べています。

まずは、現状、今の職域を守るためにも、自治体や国という上からの理解、そして、各職種の団結、
現状に対する認識の一致が不可欠と考えています。




古本屋さんでの格闘

こんばんは。

 本日は、46歳の男性、脳出血で左片麻痺(左半身の運動麻痺・感覚障害が残存)を
呈しているNさんのお話です。

 このNさんは、T字杖と短下肢装具を利用して、屋外歩行が可能な利用者さんです。
毎日のように、自宅から30分ほど歩行をして、地下鉄の駅の近くの古本屋さんまで歩いて行き、
そこで古書を数冊吟味をし、主に漫画を購入して帰ってくるのが楽しみの一つでもあり、
大事な外出機会でもあり、QOLでもあります。

 この利用者さんの悩みのひとつは、外に買い物に行っても、物を買って帰ることが大変だ、という
ことです。この方は、身体の左半身が運動麻痺をおこしており、また、感覚障害もひどく、
こちらが触ったり圧迫しても、左の上下肢はほとんど感覚がありません。
その方が、たすき掛けのカバンを肩にかけて、買い物に行くわけです。

 私も、訪問リハビリの際に、ともに考えて、試行錯誤してきました。その人がどうすれば、また、どの程度
ものをカバンに入れて移動ができるのか。
リハビリとしては、まずはリュッっくサックを考えました。両肩に均等に重さがかかり、両手が使える形
がとれるかと考えたわけです。
 しかし、実践してみると、Nさんの麻痺している左肩はなで肩、さらに麻痺により肩関節の随意的な
動きは全くないのが現状です。
 よって、リュックサックでは少し荷物を入れて歩行すると、肩からストンとカバンがずり落ちて
しまいます。

 よって、たすき掛けのカバンを試しました。
そのときに検討したのが、麻痺している左側にカバンがくるようにたすき掛けをするか、または、その逆に
右側にカバンがきがほうが良いのか、または、たすき掛けをせずに、カバンは肩にまっすぐかけたほうが
良いのか、、、これは、なかなか大変な試行錯誤でした。

 訪問リハビリのセラピストは、そんなことも考えるのか?そんなのはどっちだって同じようなものでは
ないのか?という疑問があるかもしれませんが、、、そんなことも一緒に考えたりします。

 Nさんは、古本屋さんでは、今よくコンビニエンスストアなどで売っている、廉価版のコミックで、
少し厚めのタイプが好きなようです。確かに、普通のコミックよりは太く、紙は軽めではありますが、
かさがあります。

 結論から言えば、Nさんは、たすき掛けにてカバンを右肩にかけ、左側にカバンの本体がくる
形が、一番バランスを崩しにくい、との結論に達しました。そのカバンには、大体コミックが最大
3冊程度入ります。それにお財布と、場合によっては(季節によっては)水筒またはペットボトルが
入るわけですから、このカバンの重さは1kg近くになる場合もあるわけです。
そして、たすき掛けのカバンは、腰辺りに本体がくるため、歩行の最中に揺れて腰にあたります。
 
 感覚の重度鈍麻なNさんにとって、そのカバンから生じる圧迫感や歩行の都度腰に生じるリズムは、
歩行する上ではなかなかやっかいなポイントとなります。
 ただ、右側の感覚が問題ない側にカバンを下げた場合だと、却って右ばかりに注意がいってしまい、
歩行バランスを崩しやすいことが判明しました。また、たすきの長さ、カバンの大きさ、重さ
もバランスに影響しました。
このような対応の仕方は、本当に、個人差があると考えています。麻痺の程度や、感覚障害の有無、
本人の体型なども影響するわけです。

 Nさんのすごいところは、古本屋の亭主にちゃんと事情を説明して、コミックや本を購入する前に、
一度、カバンの中にそのものを入れて、店内を歩行させてもらえるように交渉したことです。
それにより、バランスが崩れないことを確認して、初めて古本を購入することになるわけです。
その話を聞いて、私もそこまでのアドバイスに至らなかったことを反省しました。

 Nさんは、古本屋さんでのシュミレーション(本人は、格闘、と呼んでいます)を経て、
ようやく帰宅の途につくわけです。
30分で行き、30分店内にいて、30分で帰宅する。Nさんにとって駅前の古本屋さんの
存在は、かけがえのないものであり、歩行をすること自体のモチベーション、目的となっている
わけです。

装具の作成について

こんにちは。

 装具に関しては、デイケアだけでなく、訪問リハビリにても関わりのある共通の課題です。

脳卒中の既往のある利用者さんで、回復期の病院に入院中によく作成してくるのが、
いわゆる短下肢装具(AFO : Ankle Foot Orthosis 但し、年配のセラピストは’シューホン’とも呼ぶ)
と呼ばれるものです。

この短下肢装具という装具は、利用者さんの足指から下腿までを’義肢装具士’と呼ばれる
装具の専門家が型どり(採型と呼びます)をし、その利用者さんフィットしたもの装具を作成します。
プラスティックにて足首を固定するタイプ、足首が可動となるタイプや、
金属(アルミ合金製が主)の支柱を左右二本たてて足関節の角度も調節できるタイプなど、
詳細に言えばかなり細かく種類があります。
また、オルトップAFOと呼ばれる、サイズがS/M/Lなどといった既成品などもあります。

この短下肢装具をなぜ作るかというと、
歩行が可能な人の場合、

足関節の動きを装具により調整し、歩行中、足を振り出す際の動きをスムーズに行わせること
により、その人の転倒リスクを軽減すること

を第一の目的にしています。
他にも、足関節の保護、関節可動域の確保、痙性の抑制といった細かな目的がありますが、
その人を、なるべく発症前の歩行状態に近づけるための一助と考えています。

対象となる疾患は様々ありますが、代表的には脳卒中の患者さんです。
上下肢に運動麻痺を呈した場合に、
その人の足関節は、思うように動かせなくなり、歩行といったダイナミックな動きの中での調整は、
かなり困難となります。足関節がコントロールできないことで、歩行中、足を振り出す時の
前足部の引っかかりや、足をついた際の捻挫のリスクも高くなります。

さて、ここまでは前置きです。

私が介護保険分野にて仕事をする上で、なかなか大変だと感じているのは、
病院から退院してくる際に、短下肢装具を作成してこなかった利用者さんや、
作成してきたとしても、足首の可動性のないシューホンタイプのプラスティックAFOや、
既成品のオルトップAFOをつけるだけで自宅に戻ってきた利用者さんへの対応です。

回復期の病院では、毎日のようにリハビリが可能です。
現在のところ、理学療法1時間・作業療法1時間・言語療法1時間と、かなり充実した
病院でのリハビリを受けてこられる方もいます(病院によっては、これよりかなり少ない
時間しか受けられない場合もあるようですが…)。
そのようなところでは、セラピストの方針によっては、装具を用いずとも静かにきれいに
歩行練習ができる場合が多いかもしれません。
また、病院のリハビリルームは平地ですし、利用者さんにとっての環境的な
転倒リスクはなるべく少なく設計されているはずです。

一方で、自宅に戻ってくると、かなり環境は変わります。そして、最大半年間入院してきた
利用者さんも、その後はずっと自宅の環境にて動くことになるわけです。

歩行が可能なレベルの脳卒中の利用者さんの場合は、私の経験上は、多くの方が、
その後の生活で、麻痺側の下肢の筋力や筋の状態が少しずつ変化していきます。
よく歩く人の場合がとくに厄介で、多くの方は自己流の歩き方となり、また無意識に
頑張って歩く、努力的に歩くことに慣れていくため、徐々に装具によって固定されていた
足部の状態が変わってきます。
多くは、硬くなったり、ちょっとした足底の刺激により筋肉の緊張状態が強まります。
それが進行すると、今度は歩行中の痛みや、装具の不適合となっていきます。
足関節が動くタイプのものであれば、そこまで急速には変化しませんが、どうしても
固定したタイプや、下腿の型すらとっていないオルトップAFOでは、すぐに不適合が生じます。

ここで、退院後、利用者さんの装具の作成について説明します。

まず、上記などの理由で、
 
①今までの装具と違うタイプの装具を作成する場合
  →これは、医療保険にて作成が可能です。
  デイケアの場合は、病院やクリニックに併設されているので、医者からの診断書がもらいやすい
  のは良い点です。訪問の場合は、主治医の意見書を取ることに苦労する場合が多いです。
  デイケアが義肢装具製作所と連携がとれている場合は、デイケア利用時に義肢装具士にきてもらい、
  その場で作成をします。
  訪問リハビリの場合は、製作所によっては、医師の立会のもとでないと採型できませんとか、
  自宅への訪問、採型は行っていないとか、行ける時間がかなり限られるとか、いろいろと調整が
  厄介です。

②今までの装具と同じ装具を作成する場合、または修繕する場合
 
  →身体障害者手帳や介護保険にて作成することになります。
   医療保険にて作成する場合と違い、更生用装具として、装具を作成する場合は、
   かなり手順が厄介です。そして、その手順は各自治体によっても違いがあります。
   多くは、県に2箇所程度ある、装具の相談センターにて、そこの医師や義肢装具士に評価を
   してもらい、そこで装具の修理や再作成が認められた場合は、給付券というものが
   その利用者さんに後に送られてきます。それを持って来ていただければ、
   改めて義肢装具士に依頼して装具を作り直すことができるわけです。
   そのために、まず相談センターに利用者は行かねばならず、それだけでも大変です。
   家族の協力も必要となるわけですから。
   ただ、自治体によっては、病院が、月に一度程度はそのセンターの代わりに評価をして
   くれる場合があります。

上記のような問題点に重ねて、最近では、病院を除くと、義肢装具士の所属する製作所
の数が少なく、地域の拠点も少ないため、なかなかじっくりと装具の再作成や評価、
調整がむずかしくなっています。
不況のあおりでしょうか、義肢制作会社も、事業所が順調に拡大しているところは少ないようです。
装具が合わないことを分かっていて手が出せないデイケアや訪問リハビリのセラピストも
多いはずです。
そして、何よりも困るのは利用者さんです。

回復期の病院に務めるセラピストの皆様に言いたいのは、入院中、医療保険の制度下で
比較的装具が作成しやすい環境に患者さんがいる間に、その後の帰宅後の生活をなるべく
イメージして、必要な場合はなるべく可動性のあるタイプの短下肢装具を作成して自宅に
帰してあげてください。
これは、私が回復期の病院に勤務していた時も、ベテランの義肢装具士さんとよく話していた
ことですが、
その義肢装具士さんも、足関節のコントロールができないような装具や、オルトップAFOは、
私は絶対に作成しません、と言っていました。

風船爆弾

こんばんは。

 本日は、腰部脊柱管狭窄症、86歳女性、Wさんのお話を記録します。
この方のエピソードは以前夫婦のお話で述べたこともあるかと思いますが、本日は
戦時中の学徒動員時のお話をしてくださいましたので、改めて書き記したいと思います。

 Wさんは、終戦時には当時の女学校の5年生でした。当時は、中等部は1-5年まで
あり、17歳だと、ちょうど5年生にあたるというわけです。

 Wさんは、東京都内に住んでいたこともあり、戦火が高まるにつれて、学徒動員として
鉄砲の弾丸を作るためのお手伝いをしたり、また、造幣局にて、満州国の紙幣を精査し、
きちんと印刷できているかどうかをチェックしたり、そして姉妹には、風船爆弾の作成作業に
駆りだされたりと、同級生の女学生とともに、戦中の日本に奉仕せざるを得なかった世代の
ひとです。

 風船爆弾  現代の我々には、正直、ピンときません。直径や高さが10mはあったとの
ことですが、それを聞いてもピンときません。まぁ、気球のようなものかな、という適当なイメージ
をするばかりであります。

 その当時、冬季に限り、シベリアから吹く偏西風に載せて、千葉の九十九里浜や、九州の一部
から、風船爆弾を飛ばし、アメリカ本土へ着地させてそこで爆発させたり、ガスをまいたりするという
ものだとのことです。当時、Wさんの記憶では、3%ほどの風船爆弾が無事に着弾するということ、
そして、意外にもアメリカ国民はこの爆弾を心底恐れている、ということでした。

 この風船爆弾は強い和紙を原料としており、その和紙を こんにゃくのり を用いてしっかりと
貼り付け伸ばしたものとのことでした。こんにゃく粉から作ったのりでのした和紙は、かなりの強度
だったとのことですが、私からすれば、こんにゃく?のり?という感じでした。
調べると、いろいろと出てきて面白いですよ。

 このこんにゃくのりを、平らな木の板で何度もしっかりと体重をかけてのすわけですが、この作業
は当時の女学生にはかなりの重労働であったらしく、Wさんの手指も、左右ともに第2関節・
第3関節の節がかなり太くなってしまい、変形もしていました。
 
 Wさんのお話では、若い中等部の女性の中には、指が変形してしまい、しっかりとものを握ったり
開いたりできなくなるほどの人もいたとのことでした。 若い女性にとってどれほどの重労働だったか、
推し量れます。 当時、日勤・夜勤とがあり、そのどちらにも学徒の女生徒が駆り出されていたようです。

 さて、この風船爆弾は、完成の前に、しっかりと膨らむかのテストを行ったようです。
現在で言う帝国劇場(帝劇)や、東京劇場(東劇)そして、あと1箇所の計3箇所にて、
その風船爆弾を膨らます試験があったようです。 椅子は全部片付けられ、その風船が割れてしまっても
被害が出ないよう、空気を入れて膨らました後は、劇場に鉄板を置いておき、その中に隠れた
とのことでした。 本番には、空気、ではなくて、もっと軽いヘリウムガスなどを入れたらしいです。

 そのテスト場には、当時の首相である東條英機が、ニコニコと営業スマイルをしながら(Wさんの印象)
ごくろうさん、と労をねぎらってくれていたようです。
 また、その風船爆弾の工場においては、皆勤賞の表彰などもあったらしく、Wさんも賞状を持っているとの
ことでした。

 当時、造幣局や風船爆弾の作業場には、飲食するものは多量にあったようで、学徒のWさんも、
上官から 栗まんじゅう を2つほど、毎月もらっていたようです。もったいないと思ったWさんは、
その栗まんじゅうを自宅に持ち帰り、親戚一同と小さく分け、皆で食べたとのことでした。
当時、多くの庶民が節制した生活を送っていたため、かなり喜ばれたとのことでした。

 さて、余談ですが、Wさんは、終戦後、 当時の市ヶ谷にて行われた、国際的な裁判、
東京裁判に、中学5年生でありながら、学校を休んで傍聴しに行ったとのことでした。
どうやらお父さんがチケットを取ってくれ、勉強熱心なWさんに、渡したようです。
なかなかのお父さんだと思います。

 Wさんが印象に残るのは、アメリが軍の女性MP(憲兵)が、Wさんを小さな小部屋に連れて行き、
体中の検査と、髪の毛の検査も丁寧に行ったとのことでした。当時の裁判は、アメリカだけでなく、
フランスやイギリスなど多国籍な裁判官からなる裁判であったとのことで、
ここでの経験はWさんにとってかなり貴重な経験になったとのことでした。

 Wさんは、最後に、このようにお話していました。
現在、新聞やラジオで聞くような風船爆弾の話や、戦時中の話は、どうも生で経験した我々の
感覚や、事実とは異なっていることが多い、何だか都合のよい形に置き換えられていることもある。
これから、私のような語り部がいなくなった後、事実がどのように捻じ曲げられていくのか、
本当に心配だ。私の言っていることが、それが本当のことだ。


浮腫について

こんばんは。

 浮腫 というのは、いわゆる我々が一般的にむくみと呼んでいる身体状態ですが、
これはリハビリをする上で多くの利用者に見られ、多くの病態や原疾患に起因する状態です。

その対応に関しては、医師や看護師の指示がある場合もありますが、訪問やデイケアの臨床においては、
介護職員や利用者、利用者家族から、セラピストに直接判断を委ねられる場合もあるため、
浮腫の理解とその対応は非常に重要なものと考えています。

 浮腫の治療というのは、その原因となっている疾患の治療が原則となります。
よって、リハビリスタッフだけの介入では治療は困難な場合が多く、全身性の浮腫の場合には、
薬剤による治療も絡んできます。

 浮腫の評価について我々が行っていることは大雑把に述べると、以下となります。

① 浮腫は 局所性 ? 全身性 ? の判断・観察
② 皮膚の状態の観察 (圧痕性 ? 非圧痕性 ? (母指での圧迫))
③ 患肢の周径 の計測

<① について>
 局所性の浮腫は、浮腫の部位が特定されます。例えば、蜂窩織炎(ほうかしきえん)などは、炎症をおこしている部位にだけ見られ、炎症性の浮腫を生じています。
 脳卒中で片麻痺の症状を生じた場合、
麻痺側の上下肢は、活動性の低下や血管透過性の亢進からくる浮腫が生じます。
 また、リンパ管閉塞や静脈閉塞では、閉塞箇所より末梢の部位に浮腫が生じます。
基本的には片方のむくみが多いですが、中心静脈の閉塞が起こると全身性となります。

 全身性の浮腫の代表は、心不全によるもので、この場合、重力も絡んできて、
一般的には体の低い部分に浮腫が生じます。
 その他に、肺水腫・腎不全・薬剤性の浮腫など毛細血管圧の上昇があるもの・
甲状腺機能低下症・肝硬変など低アルブミン血症となるもの などいろいろあります。

<② について>
 皮膚を母指にて圧迫します。このやり方は若干、現場により差がありますが、
数秒から一分程度、5mm程度の深さに圧迫し、その後の皮膚の戻り具合をみます。
脛骨前面や前頭部、仙骨部分などを圧迫します。
また、手甲の皮膚や眼瞼をつまんで縦じわをつくり、その戻りを確認する場合もあります。
 
 戻るまでの秒数を ~30秒/~60秒/~90秒/それ以上 と4段階に分ける場合、
40秒以上か以下かで2段階に分ける場合など評価法もいろいろあります。

 非圧迫性浮腫(圧痕が残らず速やかに回復する)は、初期ではない甲状腺機能低下症やリンパ浮腫、
蜂窩織炎や血腫にてみられます。
 
 圧迫性浮腫(圧痕が残る)は、低アルブミン血症や
毛細血管圧の上昇をみる病変(肝硬変・心不全・腎不全などなど)や、
初期のリンパ浮腫、脳卒中の麻痺側に生じる血管透過性の亢進からくるものなど、
ほとんどの浮腫ではこちらとなります。

 皮膚の状態の観察も必要です。
 慢性化したリンパ浮腫では、皮膚は固くなり、褐色性に変化します。
下肢静脈瘤でも、下肢全体が褐色性となります。
 蜂窩織炎や壊死性筋膜炎では、暗赤色に変化をし、熱感や本人の疼痛も感じとれます。

<③ について>
 患肢だけでなく、状態の良い部位も左右比較のため周径を測ります。
できれば同時刻・同条件が好ましいです。

******************

 では次に、代表的な疾患に対してどのような対応ができるのかについて述べます。

① 心不全・腎不全など
② 脳卒中など
③ 炎症
④ リンパ浮腫

<① について>
 全身性に浮腫が見られる場合は、理学療法での対応は難しいと言われます。
 薬剤投与などと運動療法の組み合わせがメインになりますが、過度に静脈還流を促す手技を行った場合、
 利用者の心機能に強い負荷をかける場合があり注意が必要です。

<② について>
 麻痺している側の上下肢に浮腫が生じる場合がよくあります。
 おそらくは血管透過性の亢進という問題が多いようです。
 基本的には、麻痺側の運動を促し、筋ポンプ作用の向上や、ドレナージ手技、
 間歇的空気圧迫装置(メドマーと呼ばれるもの)などにて対応していますが、
 基本的には、利用者さんの活動量が増えれば、改善される場合もあります。
 ただし、運動麻痺の程度が重い場合は慢性的な浮腫となりやすい傾向があります。

<③ について>
 炎症時には,ヒスタミンなどの化学伝達物質の作用により血管の拡張,
 血管透過性亢進を引き起こして浮腫となっており、また、
 疼痛物質として知られるブラジキニンはヒスタミンの約15 倍もの血管透過性亢進作用により
 組織を腫脹させて、浮腫となります。
 この炎症期には浮腫に対しての介入はしません。
 特に蜂窩織炎のような感染症に起因する炎症の場合は禁忌となります。

<④ について>
 リンパ浮腫に対する治療手技としてバンテージによる圧迫療法やドレナージ手技を組み合わせた
 複合的理学療法が用いられています。
 ただ、この手技はリンパ浮腫療法士と呼ばれる資格の習得者など、
 特別なトレーニングを行ったセラピスト以外では行うのは困難です。
 
 また、医療の分野では、リンパ浮腫に対する理解度が高くないために,
 初期の浮腫は見逃されがちのようです。
 そのため悪化した状態になって初めて本格的な治療となる場合が多いようです。
 外科的な手術としてはリンパ管と静脈の吻合手術などもありますが、
 現在のところ予防や完治させることは不可能とされています。
 
 がんなどの治療にて、リンパ節を廓清した場合,少なからずリンパ浮腫発症のリスクがあるために,
 利用者のセルフケアを促していくリハビリが必要となります。
 
***************

 疾患に関わらず、治療としてもっともよく行われている対症療法が、患肢の挙上です。
つまり、心臓より高い位置に患肢を置き、30cm程度の高低差をつくり、重力を利用して排水を促すものです。
ただし、心不全などに対しては、あまり意味がないとの報告もあるようです。

 また、リハビリの禁忌の例が上記にも登場しましたが、とにもかくにも、
深部静脈血栓症だけは気を付けないといけません。
急速に発生した片側性の浮腫、下腿周囲径で左右差が3cm以上あるなどの場合は、
安易にマッサージや可動域訓練などを行うと、
血栓が肺に飛んで肺塞栓という形で利用者の急変を招くような可能性もあります。

 今回は専門性の高いテーマ、内容となってしまいましたが、
浮腫というのは非常にアプローチのしにくい、
そして内科・外科的な介入もからむ非常に根の深いものだという印象が強くあります。


縁故疎開と学童疎開

こんばんは。

 本日は、胃がん、肝臓がんの手術後、療養中のKさん、女性76歳、のお話です。
引き続き、時期にちなんで、戦時中のお話が出ました。

 Kさんの年代は、終戦当時の日本の状況を、ぎりぎり記憶している世代といえましょう。
なんといっても、終戦後69年が経過しています。そういう意味では、その当時、小学生だった
Kさんのお話は、我々が聞くことができる最も確かな記憶、となるわけです。
年を重ねれば重ねるほど、記憶は薄れ、認知症の利用者さんが増えていくるわけですから。

 さて、Kさんは終戦直前、当時小学生でしたが、東京に生活していました。しかし、その後の
B29による爆撃を避けるために、Kさんの所属する小学校では、小学校3年生から6年生までの
生徒は、2通りの疎開の仕方をしたようです。
まず、身内、親戚が遠方にいる場合は、’ 縁故疎開 ’と言って、優先的にその地に疎開させられます。
そういった親戚が存在しない3年生から6年生は、 ’ 集団疎開 ’ と言って、強制的に
地方へと移動させられました。
 3年生より下の学年、子供に対しては、そのような処置は取られなかったということですが、
私の感覚では、そのような低学年も一緒に疎開させられないものか、とも思います。ただ、現実は
3年生以上でないと、親と引き離しても平気だとは判断されなかったわけです。

 この疎開、というのは、日本が1943年に法律として定めたようです。つまりその頃には、本土攻撃
が始まっていた、ということです。

 さて、Kさんは、親戚が名古屋にいたために、 縁故疎開 のほうになったようです。ただ、場所は
名古屋です。名古屋はどちらかというと大都市だったとのことで、結果として、中心地は空爆の被害を
受けました。 小学生の女の子であっても、その当時の避難した記憶、防空壕の穴の中から空を飛ぶ
B29?の飛行する様子を見た記憶ははっきりしていると述べていました。
名古屋もまた空襲を受け、その結果、縁故疎開していたKさんは、さらにまた疎開することになったようです。

 行く先は仙台だったようです。疎開後のさらに疎開、その際、太平洋側は通らず、北陸へ出て、そこから
新潟を経過して日本海に沿って東北へ行き、なんとか仙台に辿り着いたようです。
 
 その仙台でほっとしたのもつかの間、仙台も都市としては大きなほうです。
仙台に到着してからしばらくして、空襲は襲ってきたようです。

 私は、空襲といえば、地理的には東京大空襲が最後だったのだろうという認識があったので、
東京よりも北のエリアまで襲撃されていたということは、驚きでした。

 Kさんの場合は、逃げる先逃げる先に空爆があったことで、その当時の空襲の記憶がかなり
強烈に記憶に刻まれたようです。

 当時、仙台にて黒焦げの死体を見た時の衝撃も、強かったようです。
当時は、現在のようにDNA鑑定もなし、歯型による本人確認もないわけで、結局は、空襲によって
焼かれてしまった遺体は、小学校の校庭などに集められて焼かれたり、埋められたりして
処分されたとのことです。 小学校の女の子の目に、そのときの光景が焼き付き、忘れられない記憶
となっていること、そのことをポツリポツリと話してくれるKさんの遠い目、そういうものが
私の胸を打ちました。 
このような経験を語っていただける最後の世代が、Kさんの世代だと思われます。 

缶詰の味

こんばんは。

 本日は、胃がん切除後、廃用症候群の男性、94歳のTさんのお話です。
この方は、超有名自動車会社の創業者の片腕として辣腕をふるったかたで、根っからの会社人間
でありますが、私が接していて感じるのは、非常にのほほんとしたおじいさんで、その口癖が
’まぁ、しょうがない’ と ’そうそう’ の人です。この言葉からも、のらりくらりと厳しい創業者の
性質を受け流してきたことがわかっていただければと思います。

 昨日は長崎に原爆が落ちてから69年目ですね、という話をしたところ、Tさんは、
原爆が落ちた時はフィリピンにいて、そこに2-3年は捕虜としていたので原爆のことはよく知らなかった
とお話されました。
 
 Tさんは東京のあるエリアの地主さんの家系で、代々農業をやっていたようですが、Tさんが19歳
の時に、赤紙がきたようです。(時系列の誤差は、本人の証言なので、私は気にしないことにしています。)
Tさんは、その赤紙の内容的としては、衛生兵として招集されたとのことで、まずは
千葉県習志野市にある陸軍病院に衛生兵見習いとして勤務をしたようです。
今まで医療とは全く関係のない生活を送っていたTさんは、そこで医師の指導を受け、
外傷の処置、消毒の仕方や、包帯の巻き方などを他の衛生兵とともに学んだようです。
1年ほど経った後、今度は山口県の門司まで出向き、そこから船に乗ってフィリピンに向かったようです。

 フィリピンの任務地は、戦闘を行っている場所もあったようですが、Tさんは衛生兵であったため、
後方支援部隊の一員として、怪我をした兵隊の治療の手伝いにあたっていたようです。
当時は、衛生兵は現地のフィリピン人と同じ村に暮らし、井戸水や川の水や、コメなどを分けて
頂いたようです。現地にて、現地人と部隊の間で争いとなることもなく、Tさんも先輩方から
現地語を学んで、仲良く生活をしていたとのことです。

 けが人を治療するためには、きれいな水が必要ということで、水をろ過する機械を持って行っていた
ようです。どんな代物かは、本人はあまり覚えていないというのが残念なところです。
現地では、鶏とブタをよく食べていたとのことで、鶏舎や豚舎があったようですが、自分でも鶏の首を
締めたりしていたため、帰国した後は、少なくとも鶏肉はまったく受け付けなくなったとのことでした。

 Tさんの所属する部隊には、日本の戦況はほとんど伝わっていなかったようですが、終戦をした
ということだけはわかったようです。Tさんの部隊はアメリカ軍の捕虜として、その後、2年ほどを現地
で過ごしたようですが、そこでは牢に入れられたり、手かせ足かせをされるでなく、普段通りの生活が
送れたとのことでした。
 アメリカ兵から配給された食事は、日本軍の食事よりかなり美味しかったようで、とくに牛肉の缶詰
などは、びっくりするくらい美味しかったとのことでした。

 終戦から2年ほどたって、今度はアメリカの軍艦にて名古屋まで送り届けられたTさんは、そこから
汽車に乗って東京に戻ってきました。当然、両親はTさんは亡くなったものと思っていたようですので、
Tさんの突然の帰宅にかなり驚き、喜んだとのことでした。

 Tさんは、自分のその衛生兵としての運命を、’まぁ、運が良かったんだな’と軽くお話されます。
ただ、その一言の外には、多くの仲間が帰ってこなかったという事実も言い含んでいるようでした。
Tさんは基本的には楽観主義ではありますが、それは生来のものというよりは、この戦争の経験が
そうさせた面もあるようです。

 私はTさんとはかれこれ5年くらいのお付き合いになりますが、彼は一貫してマイペースで、のほほん
としています。戦争の話は滅多にせず、毎回、私が今日の昼ごはん何を食べるのか聞いてきます。
よく言われるのが、’パン屋か?’です。 非常に愛嬌のあるおじいさんだと感じます。

 本日は、時期的に戦中の話を聞くことができたので、記録したいと思います。当時の缶詰、その味、
自分も非常に興味があります。

爪の観察

こんばんは。
 
 本日は、リハビリの際に利用者さんの身体に関して、セラピストが注意して観察しているものの一つ、
足指について、そのうち更にその一部、爪に関して述べたいと思います。

 特定の疾患を持つ人にかかわらず、高齢の利用者さんの中には、爪が分厚くなってしまう爪肥厚や、
爪に水虫の一種が感染してしまうことで起こる爪白癬という状態があります。
この爪のトラブルは、私の経験する限り、手の爪よりも足の爪においてより起こりうると考えられます。

 爪の肥厚というトラブルは、一朝一夕にできるものでなく、長期間に渡り、
爪に物理的な力が加わったり、白癬などの感染により、長期的に爪が変形、変質したものと考えられます。
巻き爪というのもその後のケアの仕方によって、爪の肥厚につながる場合があるようです。
 感染というのは、栄養状態や免疫力が低下している高齢者や糖尿病患者さんなどに多いと考えられています。

 物理的な力というのは、日常の歩行によるものが多く、歩行動作そのものに起因するもの、
足を収めている靴に起因するものが主となります。

 リハビリスタッフとしては、感染などの要因に関しては、看護師や医師にお任せすることが多いですが、
物理的な要因に関しては、爪の状態を観察し、利用者さんにアドバイスすることがあります。
 
 観察すべきは、足部全体のアライメント(形状)・骨の変形の有無です。
脳卒中・関節リウマチなど利用者さんの疾患とも絡むところですが、
尖足・内反足・外反足・偏平足・凹足・外反母趾などの足の変形が見られる場合は、
その利用者さんの歩行状態に関して、足指に加わっている力の状態が長期的に悪化している
と見ることができます。

 簡単に歩行時の身体の重心のかかり方を説明します。
 足の裏をイメージしてみてください。
 まず、歩行時は足の裏の踵部分に体重が乗り、足裏の中心より外側を通って、
前足部にいき、最終的に母指の裏に重心は抜けます。この時が、蹴りだしのタイミングとなります。
 若い人であれ、どんな人にも歩行に癖はあるもので、左右対称な正常な歩行、
というのはなかなか難しいのですが、教科書的には上記のような歩行を基本と考えます。

 よって、爪のトラブルや足指の変形にて痛みが生じていたり、
踵部から入った重心がうまく母指から抜けていかないと、しっかりとした歩行ができないとも言えます。

 人間の身体には、感覚受容器(専門的にはメカノレセプター)という、
足底面で感じとる感覚器官の集合体のようなものがあり、
これにより歩行時や立位時のバランスを保っているともいえます。
 一説には、この母指への圧が不十分であると、足の骨(末節骨)が大きくなり、
これが爪肥厚の変形になるとも言われています。また、巻き爪の原因も、
しっかりと足指の裏に圧がかからない歩き方、立ち方をしているためだとも言われています。
 
 靴で言えば、一番想像にたやすいのが、女性のハイヒールや、足先の細くなった靴です。
こういった靴を常に使用した場合は、前足部にかなりの物理的力がかかることになります。

 リハビリの対象者では、脳卒中で片麻痺を生じている利用者さんの場合は、
運動麻痺を起こしている側の感覚入力も弱くなっているため、
なかなかしっかりと母指に荷重されない場合が多いですが、
関節リウマチなどによく見られる外反母趾の利用者さんの場合も、
足指の変形や足指の痛みによって正常な歩行ができず、
ますます爪の状態を悪くしているというケースも多いようです。
 
 われわれセラピストは、リハビリの際、靴下を履いている利用者さんの靴下を脱がせます。
裸足の足指をしっかりと観察し、裸足で座ってもらい、立ってもらい、歩いてもらうことを、
少なくとも一度しっかりと評価します。もちろん、爪の色・形状もしっかりと観察しています。

 ただし、爪が肥厚している、巻いている、だからといって勝手に爪切りを取り出してチョキン、
ということはできません。
 爪のトラブルに関しては、内科や皮膚科の医療分野の専門家とも相談していきます。
第一発見者になることが多いのは、リハビリのセラピストであったり、
お風呂に入れている家族や介護職員だったりするからです。

 特に、肥厚した爪は更衣の際に剥がれてしまう、他の皮膚を傷つけてしまうなどの
トラブルにもつながりやすいので、動作指導の際にも気を使う場合があります。
 
 私自身、自分の足指、特に母指の裏については、時々意識して歩行したり、
ゆっくりと爪先立ちをしたりして、適度に圧をかけるよう心がけています。
度を越す必要はないかと思います。歩く際のちょっとした意識付けや、靴の選定だけで、
爪のトラブルに対する予防になるかと思います。


移乗動作の考え方

おはようございます。

 本日は、移乗動作、乗り移り、についてコメントします。

 訪問リハビリにおける移乗動作の練習は、病院や施設にて行われる、ベッドから車椅子や椅子の間の
乗り移りや、リハビリ室のプラットホームと車椅子間の乗り移りばかりとは限りません。

自宅で入浴させる場合などでは、浴室内のシャワーチェアーや、脱衣所の椅子への乗り移り、
また、自宅内外で車椅子を家用と外用で使い分けている場合は、玄関上がり框に絡んだ
車椅子から車椅子への乗り移り、
車椅子から自動車の助手席や後部座席への乗り移り、
歩行やいざり動作以外で、空間的に、お尻の位置をあちらからこちらへ移動させるという意味では、
ベッド坐位から畳や床上の座布団や布団へ腰をおろすことも、大きな意味では乗り移りです。

もちろん、訪問リハビリで難しいところは、病院や施設のように、乗り移る場所と場所の間や
その周囲の環境が、各家庭においてかなり違うということです。
リハビリスタッフでは、当たり前とされる、力の強い方の足(健側だの非麻痺側だの言うことがありますが)
を乗り移る先に近い方にセットする方法が、取れない場合も多くあります。
行きはよくても帰りは困難、またはその逆の場合があります。

訪問リハビリを行っていて感じることは、どうしても全介助しかない、という人でない限りは、
原則として本人の力をなるべく使うことができるような誘導、声掛け、セッティングを行い、
男性のセラピストも自分のパワーに依存することなく、あくまで介護者の年齢や体型、パワー、
考え方、を考慮して移乗動作の介助を行うことが大切です。

私はデイケアと訪問リハビリを兼務していることもあり、介助量を評価するにあたって、
その利用者さんをベッドから起こして連れて行くデイケアスタッフのうち、一番か弱い女性の
ケースを想定したり、
利用者さんの介護者の中で最も身体の小さな、力の弱い方(多くはその利用者さんと同年代
の妻、というケースです)の介助方法を考えていきます。
介助する家族が男性の場合でも、毎日のことなので、結果として腰痛を生じたり、ベッドから
利用者さんを転落させてしまったりする場合があります。

過信せず、無理をせず、なるべく楽をする。こうしないと介護は続きません。
よって、私はなるべく自分に楽ができる方法をまず見つけ、それを介護者に適応していきます。

これは何も移乗動作に限ったことではありませんが、個人的には、移乗動作と
起き上がり動作、この2つは、介助の仕方がその後の介助者のモチベーションを
左右するように思えます。

そして、利用者本人にも楽ばかりさせるわけにはいきません。日常動作において、
自分の力を少しでも発揮していく機会が与えられないと、気持ち的にも依存的になり、
また、筋力も維持できません。
訪問リハビリのその最中だけ何かできてもあまり意味はありません。

移乗動作は、基本的には
① 一度 立ち上がってから  臀部を移動させる
② 十分ではないが、臀部を浮かして 移動させる
③ 臀部を浮かすのは困難であり、臀部を水平面にて移動させる

のパターンで考えていきます。

①の場合は、介助が必要な場合であっても、介助量は少なくてすむことが多いですが、
ひとつ間違えると、より高い位置からの転倒、転落というリスクがあります。
介護者を巻き込んでのダブル転倒というのも念頭に入れておく必要があります。

②の場合は、様々なケースが有りますが、ここはセラピストの腕の見せ所でもあります。
車椅子の選定・トランスファーボードと呼ばれる道具の選定・ベッドの選定・椅子の選定
環境づくり・本人の身体機能を活かすためのポジショニングなどなど、
利用者の疾患や身体機能以外にも工夫の仕様がいろいろあるパターンです。

③のパターンであっても、すぐ全介助と考えず、環境の設定方法によっては、
なるべく本人の力を用いることが可能です。
臀部が浮かなくても、お尻を左右にふりながら前後左右に移動したり、腕のプッシュアップや
ひっぱりを用いて、身体を移動させることもできる場合があるからです。

具体的なケースは今後述べていきますが、セラピストが楽だなと感じられれば、
利用者さんを介護する人々も楽になるわけですから、なるべく本人の力を引き出す
形、か弱く年をとった女性でも何とか行える形をまずは探していくことが必要です。
もちろん、現実は厳しいことが多いですが、そこはまたいずれ述べていきます。


新聞紙 in 汽車

こんばんは。

本日の利用者は、腰椎圧迫骨折、腰部脊柱管狭窄症、脳血管性パーキンソニズムの症状のある
94歳のYさん、女性です。

昨日、終戦後69回目の原爆の日を迎えた広島での式典の話をYさんとしたところ、少し回想をしてくださいました。
もちろん、記憶は定かでないところも多かったと思われますが、
デイケアでの個別リハビリの時間の中で、少しずつ記憶を掘り返してくださいました。

終戦の年の8月には、Yさんは夫の実家のある広島県と山口県の県境に位置する
岩国の近くにて過ごされていたようです。夫はフィリピンに有名な豹部隊として出兵されていたようです。
レイテ島での戦闘でその部隊はほぼ全滅したらしいのですが、
夫は砲台の位置や弾道の計算を行う後方にいたことが幸いし、後に戻ってきています。
Yさんに夫から話してくれた内容としては、最後には履く靴もなく、
裸足で森の中を逃げ回って生き延びているうちに、いつの間にか戦争は終わっていたらしい、とのことでした。

Yさんは長崎県の出身で、その後夫が日新製鉄の仕事をしていた関係で朝鮮半島に渡り、
そこで1男をもうけます。その後夫は朝鮮からそのまま外地へ赴いたとの事ですので、
赤紙がそこまで来たということでしょう。
Yさんは息子を連れて夫の実家の近くへ身を寄せることになります。

広島に原爆が落とされたことも、長崎に原爆が落とされたことも、
その当時は終戦後だいぶたってから知ることになったとのことです。
原爆投下の時点では、まだ戦争は続いていたこともあり、
軍部はその事実を情報閉鎖しようと試みていたようです。
Yさんの話では、B29が空を飛んでいるのを良く見たので、これでラジオや時々くる号外のような新聞
(毎日配達されるような新聞はなかったとのことです)で、
日本が勝っているとはとても信用できなかったようです。

原爆投下後も、何か大変なことがおこっているくらいの話は流れていても、
それが‘げんばく’とか‘ぴか’とか、そういう固有名詞での説明ではされていなかったようです。
広島にかなり近い山口であってもそのような感じだったので、
日本中が原爆投下の事実をその時に認識していたことは決してないだろうとYさんは話していました。

 私が個人的に調べたところでは、ラジオでの報道では、当日の夜9時になってようやく、
大阪中央放送局が報道の最初に、B29が広島市に侵入し、
焼夷弾と爆弾によって攻撃、損害は目下調査中という内容を放送したようです。
ただし、都市部から離れた場所に生活をする人々にとっては、放送自体がタイムリーには入らず、
また、入ってくる情報も限定的であったことは間違いないようです。

原爆投下からしばらくして、Yさんが広島のほうに汽車で向かった時のこと。
隠しようもないはずなのに、汽車の窓という窓が新聞紙でびっしりと覆われ、
外の景色を見せないようにされていたとのことです。ただ、見えてしまうものは見えてしまうとおっしゃっていました。
その時の風景に関しては、色のない真っ黒から灰色の景色だとしか覚えていないようでした。
窓に新聞紙、、軍部の指示なのか、鉄道会社の配慮なのか、
それとも汽車に乗る人々の行ったことなのか、私個人としては興味が強くあります。

また、Yさんの妹さんは、女子挺身隊として、広島の軍需工場に働きに出ていたとのことでしたが、
その日は何かの都合で働きに出ず、結果として被爆を免れたようです。
私も後で調べましたが、勤労動員された1万数千人に上る中学上級生の方々は、
かなりの方が午前8時からの勤務であったため、原爆投下のタイミングに直面してしまったようです。

さて、ここで被爆者手帳についてお話しします。
医療系の介護保険のサービス(デイケアや訪問リハビリも含まれます)を受けた場合、
被爆者医療の契約をしている施設では、介護保険の範囲内の自己負担(1割分)は請求されません。
手帳が使えない施設で介護保険のサービスを受けた場合の自己負担は、
一般疾病医療費と同じに、払い戻しが受けられます。
介護保険の施設を利用した場合の滞在費や食費、日用品費は、
介護保険の範囲からはずされていますので、被爆者も自己負担になっています。

まぁ実際には私自身はこの手帳をお持ちの利用者さんには数回しかお会いしたことはありません。


透析の利用者さん

こんばんは。

 本日は、透析の利用者さんについて少し述べていきます。

現在、透析には、腹膜透析 と 血液透析 の2種類あります。現在、透析を必要とする人は、
全国で30万人を超えているようです。

 上記のうち、血液透析の場合は、多くの方が週に3回、病院やクリニックにて4-5時間ほど
拘束され、時間をかけて血液を循環させ、腎機能の低下を補います。
透析と言うのは一生続けていくのが原則ですので、その当事者だけでなく、周りの家族の
サポートもかなり必要となります。

 一般的に、訪問リハビリを行っていて感じることは、透析を行っている方々は、とにかく
疲れやすいということです。 体中の血液を外部の機械を通して循環・ろ過するわけですから、
その当日はもちろん、その翌日にも疲労を残している場合が少なくありません。

 また、糖尿病から腎臓に支障をきたしたような利用者さんの場合は、これは個人的な意見
ではありますが、多くのホームページなどでも書かれているように、利用者さんの
キャラクターがとてもくせがある、とでもいいましょうか。なかなか大変な方が多いようです。

透析と至るまで自分に甘い性格だった方は、同時に血液の循環障害からくる、下肢の壊死、
つまり下肢の切断手術も同時に行ってい方もいます。そうなると、リハビリとしては、
義足の作成や、義足を使用した生活機能訓練や歩行練習などを行う必要があります。

 もちろん、穏やかで人間的にも尊敬できる方々も多くいらっしゃいますが、中には、
自分に甘く、理屈っぽく、怒りっぽく、やる気がなく、聞いているようで聞いていない、
ちょっとこちらが腹立たしくなるような利用者さんもいらっしゃいます。

 どんな人であれ、リハビリを行う上でその人の癖ともお付き合いする必要があるのですが、
私の経験上、なかなか思うように本人と協力してガッツリとリハビリをできたことは、残念ながら
多くはありません。まぁ、透析を実施することそのものが、かなりの疲労を生むわけですから、
その合間に運動させられる立場になってみると、何とも言えない気はしますが。

 私の訪問先の利用者さんの中で、透析に至っている人の中には、以前、和菓子屋さんを
やっていた方や、酒屋さんにてお酒だけでなく、和菓子やお弁当を売っていた利用者さん
がいます。
 皆さん、職業柄ではありますが、賞味期限が切れたような余り物を食べることが多いですとか、
あとはお酒をかなり飲んだ、ですとか、そういうことが共通している気がします。
これはあくまで経験上のことで、統計学的なエビデンスうんぬんとは全く関係ない話です。

 ただ、皆さん癖があります。その一方で、頑固なだけにその方々の経験やお話は、傾聴に
値するものが多い気がします。もちろん、リハビリは一向に進まないことが多いです(笑)。

 いずれにしても、透析の方は、腎機能の低下だけでなく、感覚障害、視覚障害、筋力低下、
切断、血行障害、認知機能の低下、疲労、意欲低下、食欲低下、褥瘡リスク、などなど、
きりがないほどいろいろな症状を併せ持っていたり、いつ何時そういった症状が出てもおかしく
ないような場合が多いです。
 また、状態がどんなに悪くても、週に3回は自宅を出て外にでなければならず、台風だろうが
大雪だろうが、生きるために外出をする必要があるのです。

 そういった人々のQOLや、その人を取り巻く家族の介護の重さを少しでも取り除くことが、
我々セラピストの役割の一つとなると考えています。

 現在私の担当している利用者さんなどは、エレベーターのないマンションの3階に暮らしているため、
また、同時に、下肢を切断し、義足での生活をしているため、
介護タクシーの方や義理の息子さんにおぶってもらって階段を登ったり降りたりしています。
少しでも傷を作るとなかなか治癒に時間がかかることもあり、安全な動作の指導には
頭を悩ませています。



木の鉄砲?

こんばんは。

 本日の利用者、多発性脳梗塞を発症したOさん、89歳、男性について書きます。

明日、広島に原爆が投下された記念日となりますが、それに先立ち、貴重な戦時中の小話を
残しておきたいと思います。

 この方は新潟県の出身の方で、15・6歳の学生の時(太平洋戦争が勃発して間もないあたりです)
まずは学徒動員として、軍港へと連れて行かれました。船底の溶接、といっても当時は鉄を高熱で溶かす
というよりは、叩いて叩いて鉄と鉄をつなげていたのが実情だそうです。

 その後、陸軍の徴兵要請があったようですが、赤紙が来たというよりは、赤ではなく薄汚れた用紙が
届いたとの感覚だったようです。

 Oさんは、仙台に行き、そこで、東北地方中の農家から集められた 馬 を調教し、足を洗い、蹄鉄を
装着し、馬が怠けないようにその背にのり走り回っていたようです。
 日本中で満州に繰り出し、フィリピンや台湾を前線基地とし、そのうちアメリカまでを敵に回すという
ドタバタ劇を繰り返す日本の陸海空軍のエピソードの中で、このOさんの経験は、何となく平和な
響きがあることを否めませんでした。

 ただ、このような裏方がいることは、ある意味非常に印象的でした。

Oさんは、結局仙台にて、伊達政宗の銅像の立つ城の周囲を毎日馬乗りしていたようです。
終戦間近になって、馬を連れて群馬まで移動し、本土決戦に備えたようです。

 そこで練習したのは、木で鉄砲を模したものを使った発砲練習だったようです。
もちろん、木の銃ですので、玉もでなければ、音もしません。
Oさん含めそこに集められた陸軍小隊は、土豪から出て敵に体当たりをする練習も同時に
行ったとのことでした。
Oさんたちは、当然、こりゃだめだ、という印象を持っていたようです。本物の鉄砲は全て
実戦部隊のいる敵地へと流れていたようです。

 1945年3月の東京大空襲の時には、なんと群馬の地から、関東の空が真っ赤に染まっている
のが見られたそうです。
本当かな、と思ってしまう私ですが、本人は遠い目をして語ります。おそらく本当のことだと
思いました。

 終戦後、部隊長が、それぞれ実家に帰る際に、馬に乗って帰ってよし、というお達しを出した
そうです。Oさんはたまたま体調を崩していたため、馬に乗っては新潟まで帰らなかったようですが、
馬を駆って農村へ帰り、そのまま馬を使って農業を行った同僚もいたとのことでした。

 私はてっきり田んぼには馬より牛がいると思い込んでいましたが、Oさんの話では、馬を
1農家1頭は飼っていたとのことでした。

 Oさんは、自分は生き残っていて運がいい、とおっしゃいます。外地へ行く人、内地に留まる人、
いろいろな運命がその当時、運、の要素も組み合わさって回っていたのだな、と
戦時を知らない私はつくづく思います。

 このようなお話は、結果がどうあれ、内容がどうあれ、体験者本人から語られ、それを聞くことができている
事自体を、大変貴重なこととして、自分の記憶にとどめておきたいと思っています。

デイケア < デイサービス 

今回は、私の普段働いている職場の事業内容の一つ、通所リハビリテーション部門に関して
意見を述べていきます。

通所リハビリテーションは、通称を デイケア といいます。

簡単に説明すると、
病院、診療所、介護老人保健施設のどれかが事業者となって、
理学療法・作業療法・言語療法などのサービスを提供することがメインの事業です。

報酬は利用者の要介護度、利用時間数によって定められているのと、送迎・食事提供・入浴介助・個別リハを受けた場合は加算がつきます。

一方で、デイケアより数も多く、知名度も高いものに、
通所介護、通称を デイサービス というものがあります。
 
簡単に説明すると、
利用者が施設に通って、入浴、排せつ、食事などの介護その他の
日常生活上の世話や機能訓練を受けられるものをいいます。

老人デイサービスセンター、特別養護老人ホームなどで行われ、
報酬は単独型・併設型・痴呆専用単独型・痴呆専用併設型の4区分に分けられ、
要介護度や利用時間で異なる単位数が定められています。

現在この単独型のデイサービスというのがかなり増えてきているようです。

 とくに、不動産事業主などの参入が増加しています。
 土地はあります、部屋もあります。空きもあります。売ろうとしてもなかなか一般庶民はマンションを買いません。
 なかなか土地も売れません。
 そのような場合に、この余った土地やテナントを用いて、
 開設するための施設基準も比較的容易で、初期投資を非常に低く抑えられ、
 固定費などの費用も少なくて済む介護事業に参入することは、
 ある意味非常に理にかなっている、ということになるのです。

 つまり、大きな利潤はうまないけれども、老人の数は増え続けるわけで、
 需要はあり、赤字にはなりにくい。また、初期投資さえ行えば、
 あとは人件費だけで事業が継続できる。
 かつ、社会的には立派な事業として認められる。というわけです。

ごほん! デイサービスの説明の仕方に、少々とげがあったかもしれません(笑)

 基本的には、介護に苦しむ家族の選択の幅が広がり、リハビリスタッフの
活躍の場が広がることには大賛成なのですが、その事業主の経営方針などが、
時として利用者一人一人を軽く見てしまう傾向があることには憤りを感じること
があります。
 現場のスタッフはともかく、親会社にしてみれば、介護事業は
あくまで事業の一部分にすぎず、根幹の仕事内容が全く異なるわけですから、
仕方ない部分もあるのですが。。。

 ごほん! (笑い) 話を元に戻します。

デイケア と デイサービス。この2つの用語は、カタカナとしての響きをもった
時点で、なにやら煙に巻かれたような、なんだか似たような、
たいして違いがないような、よくわからない、どちらでもよいような、
なんだかそんなふうに感じる利用者や利用者の家族が多いようです。

 もともと、両者の大きな違いは、
デイケアは、リハビリを中心とした専門的なケアに重点がおかれるサービス
デイサービスは、利用者の生きがいづくりなど、日常生活上の世話
に重点がおかれるサービス
であると言えます。

 ただ、現在は、デイサービスにおいても個別機能訓練加算Ⅰ・Ⅱという項目が
置かれており、また、リハビリスタッフを雇うことで、リハビリも充実していることを
特徴の一つに置こうとするデイサービスが増えてきています。

 つまり、医療的な介入を必要としない利用者にとってみれば、リハビリという
言葉もどちらからも聞かれる、何かやってくれるだろう、という感覚になる
はずです。

現在、デイケアは最大で6-8時間の利用、デイサービスは7-9時間の利用が可能です。

 身体機能改善を希望する利用者本人はともかく、
介護をしている家族の感覚から言えば、デイサービスにてより長くサービスを受けてもらったほうが、
自分たちの時間もとれる。また、入浴する場合の機械浴もあり、毎回入浴させてもらえる方が安心だ、
ということにもなりそうです。

 今後デイサービスとデイケアの敷居はなくなっていくのか、それとも
何かしら差別化が維持されることになるのか、
市区町村や国の方針ははっきりわかりません。
 ただ、介護保険に関してよく知らない側の人々の感覚からすれば、両者の敷居はかなり低くなってきているようです。

 いずれにせよデイケアは専任・常勤の医師が必要なことから、施設の数は
デイサービスに比較すると少数派となります。

 実際、私の勤務する市では、
人口約48万人(全国813の市または区の中で29番目に人口は多いようです)
65歳以上の人口はそのうち11.2万人。
 現在、デイケア施設 16 に対し、デイサービス施設 128 です。

 デイケアに勤務する自分としては、やはりデイサービスとの差別化を図っていく上で、
より質のいい個別リハビリの提供や、住宅改修や家族への介助指導などを含めて訪問指導の充実、
利用者の満足度向上に努めていく次第です。


玄関と公道の狭間

こんばんは。

今回は、一軒家を念頭に置いた、玄関と公道との距離、高低差、そこに介在するものについて
述べたいと思います。

私が訪問リハビリを行っている地域は、全体的に起伏の多い、つまり坂の多い地域、というのが
特徴です。そうなると、一軒家を主に話を進めますが、玄関と公道までの間には必ず
「 段差 ・高低差 」 なるものが存在します。

この段差は、2-3段のもので、かつ、玄関から公道までが一直線であるような場合には、
利用者さんが歩行による移動が困難で、車いすでの移動を余儀なく
される場合であっても、玄関から スロープ を用いて外出することが可能です。
外観的にはお洒落な一軒家の場合、つまり、玄関と公道の間には螺旋階段があったり、玄関と
公道が一直線とはならず、斜めだったり、折れ曲がっていたりしている場合には、
セラピストは歩行による昇降ができない利用者をどのようにして外に出すか、頭を悩ませる
ことになります。
また、門扉の存在も厄介です。健康である間は、治安のため、門扉があると安心感もあるのですが、
この門扉が、スロープや手すりの設置の邪魔をしたり、動線上の障害物になる場合もあるのです。

さて、スロープというのは、介護保険にてレンタルが可能な(月に700円程度)小道具です。
一般的に、バリアフリーと言われる建築基準法にのっとったスロープは、だいたいが
1/12の傾斜となります。つまり、1m登るのに、12mを移動する、ということです。
斜度にすると5度程度でしょうか。
一般的に、車いすを成人が自走して何とか登れる斜度が9-10度と言われますので、
この5度あたりが妥当な斜度といえます。

介護保険にてレンタルできるスロープは、1m程度のものから2m~2.3m程度のもの
まで幅広くありますが、タイプとしては、車椅子の車輪に合わせて2本のスロープを平行に置く
タイプと、一本の太いタイプとの2通りあります。

スロープは、玄関の上がり框の高さを解消する場合に使うものもあれば、今回のテーマのように、
玄関を出たところから、公道までの段差を解消するものまで、幅広く使われます。

ただ、一本の太いタイプだと、車椅子を押して上がる場合に、押している介護者も一緒に傾斜を
登ることになるので、バランスを崩すと一緒に後方にひっくり返る可能性があります。
また、2本の細いスロープを平行に設置するタイプだと、介護者はスロープの間を移動し、
腕力によって車いすを上に押し上げることになります。
いずれのタイプを選択するか、それは我々セラピストの判断にかかっています。
基本的には、介護者に実際にスロープを使用していただき、決定することが多いのですが。

スロープはさておき、自宅の玄関と公道までに、かなりの段数の階段がある場合があります。
そういった場合は、リフト、や、階段昇降機、と言われる、段差解消用の装置を用いることに
なります。
公道からかなりの段差を登る場合、リフトを用いると、外壁に沿ってレールを設置し、利用者は、
椅子に腰掛けさえすれば、レールに沿って上まで登ることが可能になります。
ただ、これには100万円単位の工事が必要になったり、レールの斜度がある程度緩やかである
ことが求められます。

介護保険にて、住宅改修を行う際に補助される限度額は20万円となるため、玄関から外の改修
に関しては、コンクリートによる固定が絡む限り、かなりの費用が必要となってしまします。

レールを用いて座面がそのまま昇降する装置が困難な場合でも、最後の手段として、
JーMAXというものに代表されるように、車椅子ごとセットして階段昇降ができる装置や
坐位さえ取れれば、階段を座ったまま昇降してくれる装置が売りだされたり、貸し出されたりして
います。

ただし、自分の経験から言えば、階段の一つ一つの段差の傾斜が急であったり、
蹴上げ(段差の高さ)の高さが急であったり、一つ一つで若干高さが違ったり、
踏み面(階段の一つ一つの幅)が狭かったり
した場合には、現在の福祉用具の技術ではいかんともしがたい場合があります。

段差の一つ一つが少しずつ高さに差がある場合などは、階段昇降機などはうまく使用できない
のが現状です。

何とかして外に出て活動したい、という利用者さんの気持ちと
何とかして外に出してあげたい、というセラピストや福祉用具の気持ち、
それに対して、高さ、傾斜、というのはかなりの強敵です。
技術革新と、利用者さんの安全、これは今後も課題となると思います。
階段から転げ落ちてしまうことを考えると、そう簡単にセラピストは、外に安全に出られます、
とは確約できません。

家を買うとき、だいたい我々は30代~40代、いわゆる心も身体もポジティブで、
自分が将来こうなる、ああなるなどとは考えない場合が多いと思います。
自分の暮らす地域の、少なくとも自分の自宅と公道の狭間にどのような高さ、
空間的な問題があるか、少し考えてみるのも良いかと思います。

エアマットについて

こんばんは。
 
 訪問リハビリを行っていると、その利用者さんがいわゆる寝たきりの状態である場合に、

褥瘡になっている、またはなりかけている、または今後なるかもしれないリスクが高い、という判断を
医師や看護師だけでなく、リハビリスタッフもしていかなくては行けない場合もあります。
また、一方で、現在既にエアマットを用いている利用者さんの状態を評価して、その利用者さんの
使っているエアマットを普通マットに変更するかどうか、の判断も、これまたリハビリスタッフが
行うこともあるわけです。もちろん地域の医療もチームプレイとなりますので、医師や看護師、
ケアマネや福祉用具の方々を含めた相談ができれば良いのですが、なかなか臨床ではそうも
いかない場合があります。

 さて、エアマットは、最近は空気圧の調整だけでなく、その圧を体の部位ごとに調整したり、
温風や冷風を送ったり、熱線をマット内に内蔵して冬場に温めたり、電動ベッドと連動させて
寝ている人の体位を変換したりすることができるようになっています。

 エアマットを使用する利用者さんは、重い脳卒中や正常圧水頭症、頚椎損傷などなど、
自分で体の向きを変えること、寝返りをうつことができなくなってしまった場合がほとんどです。
つまり、上向きの姿勢でじっと過ごさねばならない人、といえます。そういう人はえてして
皮膚のトラブルや血流の循環障害なども抱えている場合が多いため、踵や臀部、肩甲骨や
後頭骨など、マットと身体の接点において骨が皮膚を圧迫して、その結果、床ずれを生じて
しまうわけです。これをじょくそう(褥瘡)と言っています。

 エアマットは空気の入った柔らかい素材のマットなので、我々がごろんと横になっても、
少しの間なら快適です。 ただ、あえてこう書いたのは、エアマットは床ずれを生じにくくすることは
確かなのですが、身体をマットの面にて優しく包むために、身体が少し沈んでしまい、
その結果として、夏の時期には暑くて仕方がない、という難点があります。
そして、その柔らかい面であるがゆえに、かえって身体が不安定となり、全身的に筋緊張があがり
やすいという難点があります。
 ここでいう筋緊張というのは難しい用語となりますが、実際に我々が寝ていても、あまりにふわふわ
しているところに仰向けになると、だんだんと何か固めのところで身体を固定したくなる感じがします。
つまり、拠り所、のようなものがないのです。
 フワフワした感じは、徐々に身体のこわばりをうみます。 たぶん、私はあまり寝そべったことはありま
せんが、一時期はやったウォーターベッドもそうだと思われます。
この難点は、リハビリをしている我々にとってはなかなか厄介で、利用者さんの関節の可動域を
なかなか維持できず、身体のこわばりがなかなか取れない、という結果を生みやすいのです。

 私は、エアマットを導入するかどうかは、一方では利用者さんの家族の介護がどの程度期待できるか
という点も考慮しています。日中、1時間から2時間に一度くらい身体の向きを変えられるような環境に
ある方であれば、エアマットにする前に、エアマット程ではないけれども褥瘡を作りにくい柔らかめの
普通マットを導入します。 これは、逆にエアマットから普通マットに替える時の判断基準でもあります。
まぁ、利用者さんの身体の状態に関しても、寝返りまではできないまでも、足なら少し動かせるような
人もいるわけです。そのあたりの見極めを、医師、看護師とも相談しながら行っていくことが大切です。

 普通はエアマットの上に、シーツを敷いて、そこに利用者さんを寝かせるのですが、場合によっては、
シーツを敷かずに、直接利用者さんを寝かせている家族もいます。エアマットの素材は水を通さないため、
利用者さんのおむつを替える際、シーツを汚されて毎回シーツを交換したり洗濯したりするよりも、
エアマットの上に直に寝てもらったほうが、介護する側が対応が楽な場合があります。
これは、場合によっては利用者さんの皮膚トラブルにつながり安いのですが、
今の時代、老々介護となっている家庭も多いため、身体の大きな夫を、小さな妻が介護する場合は、
このような利用法をしている家族も実際にいらっしゃいます。
 腰をさすりながら夫の着替えをなんとかしている奥様の姿を見ていると、こちらからは何とも言えない
場合があります。

 エアマットでよく使用するのは、マットの四方と端が、10cmほどは硬い素材を保ち、内側のみエアが
入っているようなタイプです。おそらくこういったタイプが現在主流になっているかと思います。
このマットの良い点は、利用者さんを起こしてエアマットに座らせた場合に、従来の全部エアのマットで
あった場合は、端の方に座らせるとそのまま臀部がずり落ちてしまうことがあるのです。
その点このタイプのマットは、端がある程度硬いため、利用者さんを座らせることが楽にでき、
また、その隣に腰掛けるリハビリのセラピスト自身の腰もいたわることができるわけです。

 

男ってのは馬鹿ですね

こんにちは。

 本日の利用者さんは、46歳男性、脳出血で左片麻痺(左半身の運動麻痺・感覚障害が残存)を
呈しているNさん。言語障害も若干残っており、言葉が聞き取りにくいことが多少あります。

 Nさんは、38歳の頃に、勤務先の滋賀県の独身寮での生活をしている時に脳出血を発症しました。
その後、2-3週間ほど急性期の病院でのリハビリを経て、寮での生活を引き払い、会社を辞職し、
実家のある東京に移って回復期の病院にてリハビリを受けました。
 
 急性期の病院というのは、文字通り救急車にて運ばれて最初に入院することになる病院です。
脳卒中を発症した場合は、たいていその地域にて指定された救急病院に搬入されることになります。
急性期の病院はいわゆるリハビリテーションをしっかりと受けられる施設基準を満たしていないことが
多く、血圧などのバイタルサインの安定化や再発リスクの軽減がはかられたあとは、
次の病院に転院することを促されることになります。
 旅行中や転勤先で脳卒中となり、それ以後のリハビリが必要になる場合は、たいていは家族の住む
地域の近くの病院に転院することになります。
 
 回復期の病院では、病気の種類にもよりますが、脳卒中では最大6ヶ月の間、リハビリを受けること
ができます。ただしこれはあくまでたてまえの部分という側面があります。 
病院側は、ベッドが埋まっていて、ベッドが回転したほうが(入院期間が短いほうが)
より多くの加算が取れることが多いため、
ソーシャルワーカーが中心となって退院をうながしていくことあります。
まぁ、たてまえの部分でいうと、その半年の間に、自宅での環境を整備し、
また身体機能をより発症以前の状態に近づけることで、
自宅での生活に戻れるようになれば、めでたく退院ということになります。

 Nさんは現在、装具をつければ外出も一人で可能なまでに回復していますが、感覚障害は強く、
また、左上下肢の麻痺も重度なため、社会復帰は難しく、両親の元、精神的に不安定な状態を
抱えながら生活しています。

 そのNさんの、今だから言えるお話で、倒れた後、病院で意識を回復し、数日後に現状を
把握し、会社を引き払わなければならないことを理解した後、まず思ったのは、、、
独身寮の定番、部屋の中のアダルトグッズです。DVDや写真集などのコレクションや、
男性連中で旅行に行った際に、ストリップ劇場にてお金を払って撮影したポラロイド写真など、
それらの恥ずかしい備品の処分についてでした。
 さすがにこうなることは、38歳ではだれも予期していなかったでしょう。ただし、Nさんは、毎日
のようにどっぷりとお酒とタバコを呑んでいたので、生活習慣自体はかなり悪かったようです。

 Nさんにとって幸いだったのは、総務のスタッフのうち、病院に話をしにきたのが男性だったこと
です。Nさんはまだリハビリも行っていないのに、左手で必死にペンをもち、メモを書き、
総務の男性に自分のありったけの力で、
なんとか処分してください。自宅に送らないでください。皆で分けてください。
と嘆願するように伝えたようです。
 病気の受容の前段階で、その恥ずかしい部分を何とかしたいという気持ちは、すごいエネルギー
だと思われます。
 本人は、懐かしそうに 男って馬鹿ですね と振り返っていました。
 Nさんは現在、1日1度、一人で外出し、30分程度歩いて古本屋に行き、
少しずつコレクションを復活させているようです。モチベーションたるやすごいものです。
ただ、本人は、「見る時間がない。親がいるから」と、70代のご両親の留守を
楽しみに日々を過ごしているようです。




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