FC2ブログ
理学療法士になりました                    ~リハビリ 日々是好日~
リハビリスタッフとして仕事をしながら、日々思うこと、記憶に残ったことを記録していきます。

プロフィール

どら吉

Author:どら吉
年齢   : 39歳
性別   : 男性
略歴   : 大学  ドイツ文学科を専攻
     : その後 金融機関に就職
           システムエンジニア
     : 退職後 専門学校に入学
           理学療法学科を専攻
     : その後 病院・診療所に勤務
     : 現在  診療所にて
           通所リハビリ業務
           訪問リハビリ業務



カテゴリ



最新記事



最新コメント



月別アーカイブ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


車について

こんにちは。

訪問リハビリを行う場合は、事業所から利用者さんの家の距離により、
または事業所の方針により、
徒歩・自転車・電動自転車・バイク・自動車 などの移動手段をとります。

事業所によっては、2km以上はガソリン代を100円ほど利用者に請求する場合や
駐車場がない場合で近くに止められず、かつ警察署の許可が下りない場所の
場合は、コインパーキングの利用料金を徴収したりする場合があります。
もちろん、利用者さんにとって最も都合が良いのは、事業所がガソリンも
駐車場台もすべて負担してくれる場合です。

私の属する事業所ではすべて事業所が持っていますが、経営側からそろそろ
これらの面にもメスが入りそうです。

さて、この車の中には、基本的には血圧計やサーチレーション(血中酸素濃度検査器)、
消毒用のハンドジェルや体温計など、
利用者さんのバイタルを測るもの、セラピストの衛生を保つもの、が置いてあったり、
その都度運んだりしています。
車の荷台には、4点杖や歩行器、踏み台やセラボールなど、リハビリの際に使用する
やもしれない小道具も載せてある場合があります。

リハビリとリハビリの間の移動時間は、なるべく近い場所で効率よく回るようにセッティング
しますが、なかなか思い通りにいかない場合や、当日の時間変更などもたまにあります。
特にこの時期は、車の中はかなり熱がこもります。
セラピストは、リハビリの時間そのものの疲労よりも、車の中でクーラーが効き始める頃には
次の家に到着する場合も多いため、この移動時間にぐてっとなる場合があります。

運送業者やタクシーの運転手さんもそうだと思いますが、ハンドルを握るほうの腕は、やはり
日焼けをする場合があります。
女性のセラピストで、私は焼けたくない、という人にとってはなかなかの試練だと思われます。

そして、次の家までの移動時間があまりなくなってしまう事態が起こった場合、なんとなく運転に
あせりが出やすいのが現状です。
前の利用者の家族や本人から、リハビリ終了時に質問攻めにあったり、お茶を出されてぜひぜひ
飲んでくださいと言われた場合、道路の工事や事故渋滞などに引っかかった場合、
雪や台風などの天候不順の場合、などなど、心理的に少しあせりが出やすい環境も生まれます。

このように、訪問リハビリは基本的には独りで移動、独りでリハビリという仕事であるため、
精神的な乱れが仕事の乱れにつながり、場合によっては事故にもつながります。
残念ながら、医師でない限り、運転手付きの訪問リハビリというのが聞いたことがありません。

最後に、駐車場所です。運転免許をとってからしばらくたつと、路肩から●メートルは駐車禁止、
とか、スクールゾーンの移動についてとか、そもそもこの場所が駐車禁止なのかどうか、など、
うろ覚えになってしまうことがあります。(あまり公には忘れたとは言えません)

私の事業所も、場所によっては警察署におもむき、駐車許可証をきちんととりますが、この手間を
事務の人がやってくれる事業所と、自分たちで取らなければならず、また半年ごとに更新していく
必要がある事業所とがあります。これがまた地域によっては所轄の警察署も分かれており、
手間取ったりするのです。せっかくとったのに利用者さんが訪問リハビリをやめます、なんて
ことになったら、結構悲しいものです。

無責任ながら、テーマを車にしぼって書いてみましたが、意外と書く事があるものです(笑)
訪問リハビリを実施しているセラピストにはなんてことはない内容だと思いますが(笑)
スポンサーサイト

夫婦の形

こんばんは。

本日の利用者さんは、86歳女性、結婚してからも、中学校の理科の教員を定年まで続けたWさん。
当時、女性の社会進出はまだまだ乏しかったはずですが、彼女は教員として、2人の娘をもつ
母として、そして投資家として生きたなかなかの達人です。

現在、脊柱管狭窄症、変形性腰椎症などの症状により、両下肢のしびれや筋萎縮がひどく、高台にある
一軒家から外へは出られず、自宅にて夫と二人暮らしをしています。
その夫は11人兄妹の11番目にて、同じく教員をしてきた人ですが、腰椎圧迫骨折や認知症、そして
その性格により、現在外へは出られない状態です。

Wさんの住む場所は、地盤はとても良い森を切り開いた場所にあるのですが、高台にあるため、
15段の階段を登らないと自宅の玄関や庭にまで出られません。
景色はとてもよく、周りの家の屋根や、森を多く残す公園を見渡せるのですが、
一方で歳を重ねたことで、階段を昇降して外出することが非常に困難になってしまいました。

さて、このWさんは、ある時私に、
「私は結婚して本当に後悔している。」
というある意味強烈な発言をされました。こういう仕事をしていると、年配者との会話で必ず出てくる夫婦の
歴史や夫婦の問題。 多くの方は、長年連れ添っている場合は、その配偶者に対して、
「なんだかんだいっても、、」とか、「まぁ、これも何かのご縁だから、、」とか、
諦観のような、また悟ったような言い方をされる場合が多いので、このWさんの発言は印象に残りました。

Wさんの夫に関しては、11人兄妹の11番目であったこともあり、かなり周りに甘やかされて育ち、
また良家の出であったことも手伝って、何もかも、兄妹やお手伝いがやってくれたとのことでした。
つまり、わがまま放題に育ってしまったようです。
教員時代にWさんは、同じ職場にいた独身貴族の夫と、その間に入った教頭先生の仲介もあり、
結婚に至ったようですが、恋愛結婚というほど二人の逢瀬を重ねることもなく、
どちらかと言えばお見合い婚のような感じだったようです。

エピソードその1 ~ 発言 ~
 婚儀が終わった後、昔の夫婦らしく、夫の後ろを歩くWさんに向かって、夫となって初めてかけた
 夫の一言。 「おい、ブタ。もっと早く歩け」  ・・・・うーん。かなり本人も衝撃的であったようです。
 Wさんは始め冗談かと思い曖昧に笑っていたようですが、その後すたすたと前を行く夫の姿を見て、
 非常に複雑な思いにかられたようです。

エピソードその2 ~ 競馬 ~
 Wさんの父親の葬儀にて、お坊さんが法要を行っている最中にふと夫が席を立ったことに
 Wさんは気が付きました。トイレかなと思っていたようですが、その後夫は席に戻らず、親族一同
 で心配していたようです。Wさんはピンときたことがあったようで、なんとかその場をしのいだようです。
 そう、その夫は途中で競馬場に行き、その晩、とっくに葬儀が終了した後、帰宅し、父を亡くして
 悲しみにくれているWさんに対して、
 「あんなつまらない葬式に出るのも面倒だから競馬に行った。夕飯は?」と一言述べたそうです。
 Wさんの夫は、認知症になった今でも、競馬中継だけは欠かさず見ており、現役にて働いている時も
 給料の全てを競馬に投資するくらいの勢いにて、のめり込んでいたようです。

エピソードその3 ~ 孫 ~
 Wさんの自宅は立派な一軒家で、2世帯で暮らすにも十分なスペース、間取りがあります。2階には
 当初、長女夫婦とその子供、Wさんにとってのお孫さんが住んでいたようです。
 しかし、子供の鳴き声に対してWさんの夫は我慢ならなかったらしく、
 「学校でうるさい子どもたちを教えているのに、家でもうるさい子供の声を聞きたくない」
 と、娘夫婦を追い出してしまったようです。

エピソードその4 ~ 学校 ~
 Wさんの夫は、人から指示されることに対してはかなり我慢ならない性格であったらしく、
 飲みの席で、校長先生からちょっとした注意を受けた途端、校長先生に殴りかかり、
 周囲の人たちの空気を一気に冷えさせた、という事件があったようです。
 とにかく、自分の思うようにならないことには、我慢がならない人だということでした。

まあ、エピソードはこのくらいにしておきますが、まだまだ枚挙に暇がありません。
Wさんは、夫が給料を全部使いこむこともあり、なんとか夫を説得して生活費を出させたようです。
当時はお給料は、お給料袋に現金にて支給されていたわけでして、その現金から大部分を
夫は差し引いて、Wさんに渡していたようです。

Wさんは教員をやりながら、経済の勉強をし、自分の貯めたお金を用いて不動産売買をして
一財産を築くまでに至ったようです。

夫が定年退職となるある月に、夫に対してWさんは、
「最後に、一回でいいから、もらったお給料をそのままの形で私に渡してください」
と真剣にお願いしたようです。

その結果は、以前と同じように、自分で好きなだけ差っ引いた現金だけ、入っていたようです。

さて、、現在の世の中でしたら、、成田離婚もいいところろでしょうが、その当時です。

皆様に細かなニュアンスを伝えられないが残念ですが、、、それでも夫婦でいて、なんとか最後に
いい形が、、、、というわけにもいかないようです。

現在、夫はあまりに周りと会話しないため、構音障害も生じてしまい、何を言っているのかわかりづらく
なってしまいました。結果、Wさんに対して常に怒っているようです。

夫婦とは、結婚とは、、、いろいろ考えさせられました。
終わりよければ、、、というわけにもいかないようです。
 

闇市

こんんばんは。

今回の利用者さんは、腰部脊柱管狭窄症、腰椎圧迫骨折、閉塞性動脈硬化症、
右・左大腿骨頚部骨折の女性、93歳のAさんです。

生活保護にて医療扶助・生活扶助を受けながら、アパートにて独居しています。
非常に頑固な人で、転倒を繰り返しながらも、独居でのADL(日常生活)を維持しています。

この方は小学生くらいの年に親戚に預けられ、終戦後に近くまでを上海にて過ごします。
そこで日中戦争が生じ、その後太平洋戦争となります。

日中戦争直後より、上海の周辺も日本人に対してかなり風当たりが強く、また市街戦も多く
おこったようです。日本領事館はあまり現地でくらす日本人を救ってくれる感じではなかったようです。

Aさんは、当時の日本通運で海外出張していた夫と上海にて籍を入れ、一子を設けていました。
夫はかなりの飲んべえらしく、いろいろと手を焼かせたようですが、一方では人当たりが良く、
お酒を飲んでは自宅の周囲の中国人といい意味で絡んで対話をしていたようです。

当時、重慶の方面から来た中国兵は飢えや物資の不足から、日本人を襲っては物資や食べ物を補給する
ことをしていたようです。Aさんも一時、5人の中国兵が自宅へ押し入り、食べ物を出せと銃をつきつけ
られたことがあったようですが、その際に、普段夫が懇意にしていた周囲の中国人が、
Aさんを守って仲裁してくれたようです。

終戦後、Aさんは親戚や夫、子供ともども、1周間ほどかけて上海をアメリカの船により脱出したようです。
Aさんいわく、座れはしたが、ギュウギュウに詰め込まれた帰国する一般人を載せた輸送船はかなり
窮屈で、皆のはく吐息がやがて密室の天井にぎっしりとした水滴となって、上からぽつりぽつりと落ちて
きたということでした。
日本兵の残兵もひどい身なりで、おにぎりをにぎって一般人に渡してくれたようですが、とても粗末なもので
Aさんは食べずに持っていたようです。

博多に到着した際に、港に群がる人々にそのおにぎりをいくつか渡すと、かなりありがたがって群がってきた
ようですが、その光景をみてAさんは日本の人々がいかに飢えていたかを実感したようです。

Aさんは熊本の天草の出身なのですが、終戦後はそのあたりでは仕事がなく、夫の親の居る関東へと
移動してきたとのことでした。

この時点ですでに夫は無職になっており、一方で結婚当初から比べてかなり酒量も多くなっていたようです。
関東の義母の元で生活を始めたAさんは、母親と、飲んだくれてしまい時々しか仕事をしない夫、そして
子供を養うために、毎日 茨城の方面までコメを買いに行き、それを東京駅の方に運んで、
闇市にてさばいていたようです。
茨木の農家と交渉をして米を安く手に入れ、それを東京駅にもっていき、高く売っていたようですが、
時々、移動中の電車の車両に警察が乗り込んできて、物資を差し押さえられ、泣く泣く帰宅することも
あったようです。

Aさんいわく、15kgほどのお米を、身長140cm台のAさんが担いで移動していたとのことでした。
ある時などは、バスからお利用として背中にしょったコメや野菜がひっかかり、頭から転げ落ちて
前歯を全て失ったような経験もしたようです。

利用者様からお聞きするこのような戦中、戦後の一場面は、記憶がある程度あいまいになっている
ことは否めないとしても、貴重な情報になります。

我々平和ぼけした日本人は、このようなナマの話をどれほど今後聞くことができるでしょうか。そういう意味で
私はこのようなお話は、どんな些細なものでさえ、できるだけ多くの人の目に触れていただきたいと
思ってやみません。

ちなみに、Aさんの息子さんは本人曰く、ヤクザとなり、青年時代に家を出てからは会っていないとのことです。
近くにはいますが、二度と会うことはないし、会いたいと思わない、と本人は述べています。

訪問リハビリについて

こんにちは

訪問リハビリというのは、利用者さんのご自宅にお伺いし、そこでリハビリを行う
介護サービスのひとつです。

簡単に分類すると、病院や診療所に属するセラピストが訪問する場合と、
訪問看護ステーションから訪問する場合、の2パターンがあります。

診療報酬や訪問リハビリを行う際のシステムが若干違いますが、どちらの形をとるかは
ケアマネージャーさんの作成するケアプランによりますし、そもそもはその利用者さんの
主治医を取り巻く環境にもよります。

利用する本人や家族にとってみれば、そんなことはどうでもいいわけで、なるべく早く
腕のいいセラピストが安く長くリハビリを行ってくれればよい、ということになるわけです。

原則、利用者さんは介護保険にて1割負担(現時点では) となりますので、
だいたい40分の訪問リハビリで650円弱、60分の訪問リハビリで1000円弱程度の
費用がかかります。アバウトなのは、地域によって、微妙に基本的な報酬単位に係数が加味
されるためです。また、3年以上勤務したベテランのセラピストが多いところでは、
サービス提供体制加算なるものがつく場合があるからです。

自分の所属する診療所では、現在40分のリハビリを主体に行っていますが、
訪問看護ステーションにて派遣されるセラピストは60分の訪問リハビリを行っている場合が
多いようです。

働く側からしてみると、40分のリハビリ⇒20分の移動⇒40分のリハビリ という1時間単位にて
1日7件前後の利用者さんを回るか、
60分のリハビリ⇒20分の移動 という単位で1日5ー6件程度の利用者さんを回るか、
となっている事業所が多いのではないでしょうか。

訪問リハビリを開始するにあたっては、
診療所から開始する場合、主治医の指示書だけではなく、診療所の医師からの指示書も
必要だったりするので、訪問看護ステーションにて開始するより、若干手間がかかります。
主治医 = 診療所の医師 であればもちろん1つの指示書で済むので楽なのですが。

こういうように、なんだか訪問リハビリというのは面倒な問題をかかえています。

また、近年では、介護保険の財政難の問題もあり、また、介護保険が基本的に
市区町村という自治体が主体の保険者であることもあり、
財政が厳しい自治体に住む利用者さんのケアプランにいろいろものいいがついているようです。

例えば、現場では、通所リハビリテーションに通っている利用者さんが、訪問リハビリも同時に
受けたいと思っても、自治体によっては、ダ・メ!となるケースがあるようです。
通えるんだから、家に来てもらう必要あるの?というのが言い分の一つなのですが、
実際の現場では、家でできること、通所で行えることをしっかり分けられるわけではありません。
そのあたりは、現場の家族、利用者、セラピストが感じていて、
役所の人にはまったく届かないところです。(といったら言い過ぎと怒られそうですが)

このように、訪問リハビリは、いろいろな問題を抱えながら、現在成り立っている面もあります。
今後われわれセラピストが国家資格として生き残っていくには、
訪問リハビリひとつとっても、いろいろな課題があることを書いておきます。

恐山のイタコ

こんばんは。

本日の利用者さんは、M様 92歳 女性 変形性腰椎症と認知症の方です。

80代までずっと山登りをされていて、あの3・11の東日本大震災後に調子を崩して
どこにも行けなくなり、今のようになったと、毎回おっしゃる方です。
おそらく震災の時点より以前よりだいぶ認知症は進行していたとは思われますが、
そこは本人のおっしゃることを否定せず、ふむふむと聞いています。
山登りのお話は、おそらく本当のことだと思われます。非常に細身の体で、
頑張っていたのだと思います。

その利用者様とのお付き合いは3年以上になりますが、通所リハビリテーションでの
個別リハビリ20分の中で、だいたいは同じ話が5-6回繰り返されます。
その中で、時々過去に見送った2人の娘さんの話が出てきます。とぎれとぎれ、
そして途中で話した事自体を忘れてしまうことはありますが、長く聞いていると、
一つのストーリーができあがります。そして、その軸はずれないので、おそらく本当に
あったことなのだと思います。

この方は、6人兄妹のうち、5人を見送り、自分の娘3人のうち、2人を見送っています。
その中で長女さんの話をここに記します。

長女さんは、どうやらMさんの強い反対を押し切って、ある方と一緒になったそうです。
そして、Mさんの予想通り、夫に裏切られ、別れた後、今度は本人がとある癌になり、
福島の病院にて闘病生活を送ることになったようです。
関東に暮らすMさんは、母親として、過去の娘との諍いは抜きにして、必死に看病を
したようです。ただ、結果として病状は悪化していったようです。
Mさんは、娘さんが強く希望した、関東の実家への帰宅を叶えようと、医者と掛け合い、
病院を一時的に退院して、娘さんを自宅まで連れて帰る手はずを整えました。

明日、車で出発して自宅へ、というその夜、長女さんは病院の3階の窓から飛び降り、
自殺されたとのことでした。
どのくらい前のことでしょうか、おそらく40年にはなるかと思われます。
Mさんの苦しみは、推して図るべし、なのですが、Mさんが言うには、当時は調査に
入った警察から、看護に疲れたMさんが殺したのだろう、と詰め寄られたとのことでした。

Mさんは、テレビドラマより酷かった、と繰り返し述べる時があります。
当時の看護師の証言で、警察は引き下がったようでしたが、Mさんの心には今でも
その時のことが強く印象に残っているに違いありません。
認知症だからといって、何から何まであやふやになるわけではないことをひしひしと
感じました。

Mさんはその後、恐山に3度ほど登ったそうです。
そして、そこのイタコに長女の口寄せを頼み、長女がどうしているかを聞きに行った
ようです。 最初の時、イタコの口から、長女は無効の世界で楽しく、幸せにやっているから
と聞いた時、Mさんは、それを喜ぶどころか、本気で怒り、
私がこの世でこれだけ苦しんでいるのに、あんたは何でそんなにして暮らせるんだ
とイタコに蹴りかかったそうです。同行者に必死に止められた、と本人は話しています。
それだけ、Mさんは苦しんでいたのでしょう。

私はMさんの娘さんを亡くした悲しみや、その時の心の傷を垣間見て、いろいろと
考えさせられました。
上記のような話の筋がある程度通るまで、少しずつの時間の積み重ねが必要でした。
最初から出てきた話ではなく、Mさんが少しずつこちらに心を開いてくれたことも
感じられます。認知症の程度は人それぞれですが、数年かけてでも少しずつ
話がわかってくることもあるのです。


アナと雪の女王

こんばんは

本日の利用者さんはNさん。
46歳男性、30代後半にて脳梗塞により左片麻痺を発症し、現在は父・母と3人暮らしの方です。
仕事をしている当時は、会社の寮生活をしていたとのことで、独身貴族ならではのお金の使い方を
していたようですが、主にお酒が好きで飲んでいたようです。

この方は、月に2度、板橋の自宅から秋葉原にヘルパーさんと電車に乗り、
車いすとT字杖歩行を移動手段としてヨドバシカメラまでお出かけしています。

大の映画好きで、自宅にはジャンルを問わず様々な種類のDVDとブルーレイが置いて
あります。その中でも、ホラー系が若干多いようです。現在は月に二回のお出かけのたびに
2、3点のブルーレイディスクを買って帰るのが、本人の生活の中で楽しみの一つとなっています。

さて、そのNさんが、先日、ヨドバシカメラにて予約していた 『アナと雪の女王』 の作品をゲットし、
その他2点ほどの作品を購入した後、ヘルパーさんと帰ろうとしたところ、
近くで小学生くらいの女の子を連れたお母さんらしき女性が困っている顔をしているのが目に入った
とのことでした。女の子は、どうしても 『アナと雪の女王』が欲しくてぐずっているのですが、
この日ヨドバシカメラに予約なしで買いに来た人は、誰一人として作品を手に入れることができなかった
そうです。
その女の子が泣きじゃくっている姿をみて、Nさんは、お母さんに対して声をかけて、
「この作品、自分はあまり興味ないのでどうぞ、お譲りしますよ」と、構音障害が若干残る口調にて
自分が購入したことを説明し、自分が予約してまで手に入れた作品を、予約割引の値段のままに
お譲りしたそうです。

その女の子とお母さんがどのように対応してその場を立ち去ったのか、そこまではお話されませんでしたが、
私はNさんの心意気に感じ入りました。
電車で座席をさっと譲るようなさり気なさではありますが、普段あまり外出をしない自分の楽しみの一部
を犠牲にしての心遣い、よくありそうでなかなか見当たらない、そういったエピソードではないかな、
と思いました。

Nさんは脳梗塞発症後、メンタルの浮き沈みが若干あったようですが、私とはもうかれこれ5年以上のお付き合いと
なります。徐々に自分の生活スタイルを確立し、趣味を見出しているNさんの日常の一幕でした。

ブログをはじめました!

はじめまして

なにというきっかけはないのですが、ブログなるものを始めていきます。
療法士としての仕事をしていると、スポーツの分野や小児の分野を除くと、
高齢者と言われる範囲の人々を相手にする機会が多いのです。

そしてまた、医療保険ではなく、介護保険の分野で仕事をしていると、
リハビリの対象となる人々は自宅や施設を中心に生活をしていますので、
自然とその人々の日常生活に基づいたお話をする機会が多くなります。
場合によっては医師や看護師、ケアマネージャーや介護職員よりも長い時間、
二人きりでの会話を続ける機会に恵まれます。

ここでは、現在その介護保険分野にて、通所リハビリテーション・訪問リハビリテーション
と言われる仕事をしている自分が、
普段のリハビリ中の利用者様との会話の中で気がついたこと、感じたこと、
または会話そのものについて、少し書き残していきたいと思います。

その他に、リハビリの仕事をしていて自分が個人的に考えている事、
または自分の個人的な出来事などに関しても、軽く書き添えていきたいと思います。

普段仕事上で接する利用者様は、自分よりよほど年配者です。ということは人生の先輩方です。
自分より長くこの世に生きている、存在しているということだけで、
基本的には尊敬に値すると自分は思っています。
そういう人々と些細な会話の中でかわす言葉には、非常に感銘を受けるものがあります。
残念ながらこういうことは個人差があります。私にはピンと来てもあなたにこない、
なんてことはざらにあります。なので自分勝手な記録となるに違いありません。

残念なのは、高齢者の中には身体機能や認知面の問題もある人もいるので、
一度ふっと出てきた言葉を、次にお会いしたときに同じように聞けるとは限りません。
あんなすごいことをおっしゃっていた方が、今はまったくコミュニケーションがとれない、
となることは少なくありません。

以上のように、このブログは自分の日々の仕事の中から得た金言集としたい
と勝手に思っているわけです。ブログは初めてですし、続くかへたるか分かりません。

ただ、自分の仕事の醍醐味は、リハビリによって相手の状態をより良いものにしていくこと
が第一ではありますが、
それと共に、人生の先輩である相手とのやりとりの中からいろいろなものを吸収していくこと
にもあると思っています。
後者は相手のためにはあまりならないところが心苦しいところですが。

とりあえず開始してみます。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。