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理学療法士になりました                    ~リハビリ 日々是好日~
リハビリスタッフとして仕事をしながら、日々思うこと、記憶に残ったことを記録していきます。

プロフィール

どら吉

Author:どら吉
年齢   : 39歳
性別   : 男性
略歴   : 大学  ドイツ文学科を専攻
     : その後 金融機関に就職
           システムエンジニア
     : 退職後 専門学校に入学
           理学療法学科を専攻
     : その後 病院・診療所に勤務
     : 現在  診療所にて
           通所リハビリ業務
           訪問リハビリ業務



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毒キノコ

こんばんは。

 本日は、認知症と腰部脊柱管狭窄症の女性の利用者さん、Mさん94歳のお話しです。

この方は、東北山形県出身ですが、長らく山での生活をしていたので、お散歩していても
花の名前や野草についてもかなり詳しく教えてくれていました。

 なぜ過去形かと言いますと、徐々にその名前が浮かんでこなくなっているのがあります。

先日、久々にお散歩をして、きのこの話になりました。。

 キノコもいっぱい食べたし、採った。ということをおっしゃっていたので、毒キノコなんかは見分けられますか?

と聞いてみました。
すると、 キノコはほんと、いろいろあって危ないよ。でも 手にとっても大丈夫だし、 縦に裂いてみて、
すんなりとさけるものは 食べられる。 まっすぐ裂けないものはダメだね。

 とおっしゃっていました。

へーえ とそのときは感心して聞いていました。
doku.jpg
この、何だかレトロなフレーズ(笑)  人にあげない、、、(笑)

これ、厚生労働省のホームページに現在もある1ページです。 健康・医療 のカテゴリです。

患者さんの人数は、9月から12月にかけて、平成24年にて166人いるようですね。
食べちゃったんでしょうね。。

ちなみに、
1 毒きのこは毒々しい色をしている   
2 柄が縦に裂けるきのこは食べられる
3 毒きのこでも茄子と煮ると中毒しない
4 塩漬けにすればどんな毒きのこでも食べられる
5 かじってみて変な味がしないものは大丈夫
6 ナメクジや虫が食べているきのこは食べられる

ちなみに、、この6つは、どうやら迷信だそうです。よく聞きますが。
致死量のテングタケの種類などは、食べているときは、かなり美味しいようです。。。
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板さん と ぷち袋

こんばんは。

 本日は、94歳の変形性膝関節症・アルツハイマー型認知症・廃用症候群の利用者さんSさん
女性の、、、内縁の夫のお話しです(笑)。

 Sさん自身は、かなり耳が遠く、認知症もかなりのもので、実際に、夢とうつつの区別が
ついているかどうか。。という状態ですが、
この方には、10歳以上年下の内縁の夫がいます。

 その夫が昔、板前さんとして活躍していた話を聞きました。

この夫、Kさんは、
東京駅の近くにある、和食・寿司・洋食を出す食堂で主に勤めていたようなのですが、
板前さんというのは、朝早くから、夜は10時くらいまで、かなり拘束時間の長い職業だったようです。

飲むのがすごく好きな方で、生涯結婚はせず、今、となりの平屋のアパートに住むSさんの
世話をしています。この二人の出会いは、またの機会にお話できればと思います。

 Kさんは板前さんなので、そういう人は、自分の食事は自分で作って勝手に食べるのかと思いきや、
ちゃんと、食事に関してはまかないさんがいるようで、休憩時間にきちんと食事が出ていたようです。

 本来、板前さんは、何かしら、協会か組合のようなもの、○◯会という組織に所属しているので、
一つのところにずっと勤めることはなく、その○○会に相談すれば、いろいろと全国にて修行が
できるようです。

 Kさんは、ある時期、石和温泉の旅館に勤めて、そこで料理を作っていたようです。
生活面においては、料理はまかないがいて、お酒も旅館のお酒を自由に飲めて、
近くのアパートも旅館が所有しているので、家賃もかからず、光熱費も全部旅館持ち、
そして、なんと、温泉も、入り放題、だったようです。

 Kさんの話では、温泉も、入り慣れてしまえば、ただの風呂とおんなじだということで、
宿泊客と同じように入浴時間内に温泉に浸かっていたとのことでした。

 面白いことに、近隣の旅館に関しても、
どこどこで料理人をしているKです。と一言いえば、どこの温泉にもタダで入ることができたようです。

 近隣の温泉宿は、ほとんど入って回ったとのことでした。

なので、お金も使うこともないから、たまるたまる、、、ということでした。

 まぁ、旅館の料理人なので、勤務も午後3時から11時くらいと、変則的なのもあったようですね。

面白いのが、われわれが旅行に行く時に仲居さんに渡す、チップ、ありますね。。。

 それを、仲居さんは自分のものとせず、ちゃんと月末に、そこで働く従業員に均等に配るとのことでした。

ひと月あたり、だいたい3万円ほどはもらっていたようですね。 
普段は厨房にいるのに、なんだか貰えた、自分ならだまって懐にしまうのに、、、とKさん。

旅館の仲居さんや
女将さんは、かなり仲間意識が強いらしい、、ということでした。。。

 いやはや、なかなか興味深いと思いましたので、利用者本人ではなかったのですが、書かせてもらいました。

このSさんのお家に行くと、ときおり、Kさんがカレーライスを料理していて、食べさせてくれます。
ただ、朝一番だったり、昼一番だったりすると、、、結構、ヘビーですよね、カレーライス。。。

 Kさんは、実際には、和食担当の料理人だった、、、ということでした。いやはや。

共感覚について

こんばんは。

 本日は、脳卒中にて右片麻痺を呈した利用者さんのお家での話です。
残念ながら、この利用者さん自身は、5回の脳卒中を経て、
現在、胃ろう・尿カテーテル・意識レベル低下・発話なしと、ほぼ寝たきりの方です。
コミュニケーションをとることはできません。

 この方の娘さんが、たまたま本日上京してきており、お話しをすることができました。

この利用者さんは、以前は、いわゆる ’ 共感覚 ’の持ち主だったようです。
そのことについて娘さんから、いろいろと教えていただきました。

 共感覚というのは、いろいろと謎の多い感覚です。(シナスタジア、synesthesiaと言います)

例えば、

 文字を見る → 文字に色を感じる

 音を聞く   → 音に色を感じる  (絶対音感のある人には、こういう感覚を持つ人もいるようです)

 色を見る   → 音を感じる

 形を認識する → 味を感じる

 数字を見る  → 数字に色を感じる

 味をしる   → 形を感じる

 人を見る   → その人の性格や姿に色を見る(オーラ?)
            または、 
            触覚を感じる (第3者が人を触っていると自分が触られているように)

などなどです。
この共通覚の所有者は、圧倒的に女性が多いということらしいですね。

 特徴としては、意図的にこのような感覚は生じることはなく、共感覚の持ち主は、
自分が知覚したものが現実であるという確信をもっている、ということです。

 この感覚は、生涯にわたって続くと言われています。

 また、新生児の脳は生後3ヶ月までは、われわれ皆全てがこの共感覚をもっているようです。
新生児の五感が未分化であるためであるが、その後、分化が進むと消えてしまうケースが
多いようです。
kana_colors.jpg

 この共感覚は、記憶との結びつきも強いようで、この感覚をもつ人びとを集めて、
この感覚を強く意識させながら、記憶に関してアプローチしたところ、
被験者のIQが向上したというデータがあるようです。

 よく、TVにてドラマを見ると、その人物のオーラなり、背景に色が浮かんでいるようなCGは
よく見ますが、このような、オーラが実際に見えているひとがいるのであれば、
それはすごく不思議な感覚かと思います。ただ、本人にしてみれば、当たり前のことなのでしょう。

 この感覚は、アスペルガーなどの神経系の病気とみなされてしまうこともあるようですが、
日常生活ではあまり問題にならないため、
DSM(精神障害診断便覧)やICD(国際疾病分類)においても、記載されないようです。

詩人・童話作家の宮沢賢治 は 音より情景が見えたようですし、
ピアニストであり指揮者のフランツ・リスト などはオーケストラの指揮の際に色で指示をしたようです。
また、ムンク も 叫び の絵が有名ですが、 散歩中に聞いた声が元となっているようです。
ダ・ヴィンチに関しても言われているようですが、、、どうでしょうか。

 感覚に対しては、われわれセラピストは、原則なかなかアプローチが難しいです。
脳卒中の方の感覚障害に関しても、よく言われるのが、
リハビリ病院の入院中の6ヶ月の間にどれだけ回復したかで、その予後がだいたいわかる
と言われます。ある意味、その後の大きな変化が望みにくいのが、
体性感覚・知覚の部分です。

 ちなみに、この利用者さんは、数字を見ると、立体的なイメージが伴うようです。
 suji120914_01-thumbnail2.jpg
爆笑問題の田中さんも本物らしいですね。 

 あなたの周りには、そのようなかた、いらっしゃいますか。。
 

お風呂での溺死 と 不慮の事故について

こんばんは。

 本日は、96歳、、両膝変形性関節症の女性の利用者さんMさんのお話です。

この利用者さんは、96歳でありながら、一軒家に一人暮らしをされており、
ヘルパーも導入せず、ADLもほぼ自立されているスーパーおばあちゃんの1人です。

 実際には、娘さんが週に1泊2日ほど泊まり込み、その間に入浴を済ませているようです。

一度ヘルパーさんを導入したのですが、
そのヘルパーさんが、食事を作る際に、こちらがボウルを用意したのに、玉ねぎを、切ったまま、
洗うことをせずに煮ようとした、というのを目撃してから、いっさいヘルパーさんを
信用しなくなり、自分で食事を作り続けたというエピソードもあります。

 さて、このMさんのお話しでは、
お風呂での事故が多いということを、デイサービスを利用している利用者さん同士の話や、
自分の家の周りでもそのような事故が多いという実体験にもとづいてお話してくれました。

 隣のお家では、高齢の奥様が入浴した後、そのご主人は2時間ほどベッドで寝ていたのですが、
ふと起きて隣をみてもまだ妻が寝ていないので、お風呂を見に行ったところ、妻が風呂の浴槽にて
溺死していたとのことでした。。

 そして、そのお隣のさらにお隣でも、そこのご主人がお風呂に入浴後しばらく出てこないので、
奥様が様子を見に行ったところ、湯船の栓が外れており、湯も全部流れていたにもかかわらず、
本人が溺れてあがいたようで、少し血を流して湯船の中に倒れていたようです。

 奥様1人ではその夫を持ちあげられなかったため、隣のひとに助けを求め、浴槽の外に出したようですが、
その夫は結局お亡くなりになったようでした。
ただ、その隣人が、手を貸したために、
その後、警察から殺人ではないかと疑われたのか、、、4度も警察に呼び出されて大変だったらしい、
という話をしていました。

 普通、助けを求められ、奥様が1人では湯船から外に出せず、そして本人もぐったりしていたら、、、、
ま、私でも手を貸そうとするかもしれませんが、、、、死んでしまっている場合は、少しでも手を貸すと、
どうやらその後が大変らしいですね。。。

 Mさんは気丈にもその話をしながら、 ’そんな時に手を貸したりしなければよかったんだね
あとが大変だから’

などと言うのです。。いやはや、このおばあちゃんには、参ったとしか言えません。。。

 さて、不慮の事故について、私は 
厚生労働省のホームページより、

 ホーム > 統計情報・白書 > 各種統計調査 > 厚生労働統計一覧 > 人口動態統計特殊報告

の順に検索してみました。

最も新しいデータが、平成21年のものでした。

01b.gif
まずは、このグラフより、
交通事故者の数は、どんどん減っていることが分かります。(7499名)

これを上回ったのが、 窒息死です (9419名)

転倒・転落死 (7170名)

溺死 (6464名) 

となります。
交通事故以外は、65歳以上からは急上昇していますし、年々、増加傾向にもあります。

発生場所が家庭に限って言えば、
01h.gif
このグラフのように、
火災による死亡がトップ、 それについで、 溺死が60%を超えています。
つまり、溺死の方の6割以上のひとが、自宅の入浴中に亡くなっている、ともいえます。

シャワー浴が中心の欧米では、あまりこのような傾向はありません。日本特有なものです。

日本特有の、 湯船に浸かる、という世界的にもまれなこの風習が、

入浴中の急病や急死につながっています。 

お風呂好きな人、日本に多いですが、なんとなく皮肉な結果ですね。。

入浴により、、、いったい何が起こっているのかといいますと。。。。

 入浴 → 温熱により、末梢血管の拡張 → 血流が脳や心臓から 末梢へいってしまう
(温熱作用)

 → * 浴槽内での失神のリスクにつながる可能性があります。

 入浴 → お腹や下半身に水圧がかかる → 静脈の血液が還流する → 心拍出量の増加
(静水圧作用)

 その後の湯船からの立ち上がり → 急に静水圧が解除 → 心拍出量が低下

 * 湯船から立ち上がった際に、 めまい、失神のリスクとなります。

また、血圧に関しても、入浴は影響を与えます。

 42度のお湯に浸かった後は、その後12時間ほどは、血圧低下が見られるといいます。。。
それにより、脳・心臓の血流低下がおこり、

 入浴後の脳梗塞や心筋梗塞などが生じるリスクがあるのです。。。

nyuyokujiko1.gif

入浴時このメカニズムはこの図のとおりです。

外的要因は、先にあげた、 温熱作用や静水圧作用だけでなく、脱衣所において
服を脱いだ際に、気温の差により生じる 寒冷曝露 という状況によっても起こりえます。

また、 脱水 というのも、意識障害やめまいにつながり、溺死を生じさせる原因となります。

ですので、、、
(1)  脱衣所や浴室をあらかじめ暖め、入浴時の温度差を少なくする。
(2)  浴槽は浅め(あるいは水位を低く)で半身浴が望ましく、縁に手をかけておく。
(3)  ぬるめの温度(39~41℃)で、長湯はしない。  42度は高めです。
(4)  一日の中で体温が上昇し、血圧の安定する16時から19時頃までの入浴が望ましい。
         Mさんは、14時頃、入浴しています。
(5)  血圧下降の原因となるような飲酒や食後の入浴や、
    入浴中の急激な起立は避ける。
(6)  入浴後は水分を補給する。
(7)  高齢者が入浴しているときは、家人や周囲のひとが声かけするようにする。
    単身者の場合、出浴時に浴槽の栓を抜く習慣をつけるのも溺水の予防となります。

 入浴し、出る前に栓を抜くと、徐々に湯船から湯が減るので、、、これも良いのでしょう。。

 溺死について淡々と世間話をするMさんは、すごいなー、お元気だなぁ、とつくづく思います。






女学校 という響き

こんばんは。

 本日は、以前ブログでも紹介したことのある、ポストポリオ症候群の利用者さんMさん(女性)についてです。

この方は、18歳の時にポリオを発症して依頼、88歳の現在に至るまで、独り身を通した方です。
本日の訪問リハビリでは、本人が60歳手前の時に、95歳で亡くなった母と、その母を追うように
101歳で亡くなった父のお話しをしてくださいました。

 Mさんは、独身を通した方であり、現在のマンションに、30年ほど前にご両親と引っ越してきていました。
Mさんは、当時は、父親の方が先に亡くなるに違いないと思い込んでいたようで、
とりあえずは、父親を大切にし、その後、母親を大切にしていこう、と、ご自身もポリオの後遺症を抱えながら、
仕事に出ていたようです。

 ただ、実際には、お母様は、心筋梗塞の発作を起こしてから、2日目に病院にて亡くなってしまった
そうです。
 明治44年に女学校を卒業したというそのお母様は、かなり気丈な方で、ご自身の身体に関しては、
外にはもらさず、1人で痛みや身体の不調に耐えていたとのことでした。

 Mさんが、涙ながらに話してくれたエピソードとしては、母親が95歳にて、あまり便通がよくなくて、
トイレから出た後に、廊下に座り込んで、’少し出てきているんだけれど、なかなか出てこない’
と少し嘆いていたようなのですが、その時、洗濯物を取り込んで、その廊下を通過したかったMさんは、
’お母さん、邪魔だよ、そんなとこに座り込んでないでどいてちょうだい’
と強い口調で言ってしまったようです。

 あくまで、お母様に対しては、まだまだ大丈夫だと思っていたようなのです。
このお母様、このマンションに引っ越す際には90際を超えていましたが、
働いていたMさんに変わって、引っ越しの荷造りも、手配も全てご自分でなされたようです。

 Mさんは、この母親が倒れて入院した際に、自分自身は、母親の着替えをとりに自宅に戻り、
そして、父親は自宅にて待機しており、兄夫婦も、ちょっとその場を離れて自宅に戻っていた
まさにその時に母親が1人で息を引き取っていたことを、今でも涙ながらに、後悔の念をもって
語っています。

 一方でMさんのお父様は、101歳ということもあり、自宅にて、いっさいものを口にしなくなった
後、医師の指示通り、呼吸が少し荒くなって、最後にすーっと息を吸い込んでから、亡くなったということです。
その際、枕元には、Mさんをはじめ、兄夫婦もそろっており、家族でしっかりと自宅にて看取りができた、
とのことでした。

 このこともあったからでしょうか、Mさんの、母親を看取れなかったこと、そして、
母親が身体の不調を隠していたことも知らず、さいごまで母親にきつくあたってしまっていた自分を、
責めている感じでした。後悔、というのでしょうか、これが、母親の死後2年ほどは、
Mさんを悩ませたそうです。

 ちょうどご両親とも愛媛県の出身であり、私も愛媛県出身であるため、Mさんはいわゆる方言、
伊予弁を話します。そのこともあり、私としてはMさんや、その親族に対して親近感があります。

 このMさんのお母様は、当時、部落(村)全体の女性のうち、1人や2人くらいしか進学できなかった
女学校に行くことができた人だったようです。
ただ、このことをお母様は自慢気に語るどころか、 試験に落ちていればいいが と思っていたようなのです。

 当時、女学校に進学することができるのは、裕福で余裕のある家庭でしかかなわないことでした。
ですから、Mさんのお母様は、ある程度天狗になってもよさそうなものですが、
さすが明治の女性といいますか、あまり皆と違うことを行うことをよしとしなかったようです。

 Mさんのお母様をはじめ、当時、女学校に進学した方は、多くはそれより上の学歴をもつ男性を夫に
迎えることができ、かなり裕福な暮らしが送れたようです。
 
 Mさんの話では、お母様の友人たちは、その後東京に出てきてからも、社長と結婚するような
方が多く、多くの方は優雅な暮らしができたということでした。
 それだけ、女学校を卒業するということは、意味をもつことだったようです。

 文部省年報によれば、 昭和 10 年度 ( 1935 年 ) の大学進学率は僅か 3 パーセント
昭和 25 年 ( 1950 年 )には 6.5 パーセント という時代の中で、

 女学校という、いわゆる大学に相当するところに進学する女性というのは、
かなりのステータスがあったようです。

 2013年のデータにて、大学進学率を男女別に見ると男子が50.9%、女子が55.5%
とかなりの高い数字が出ています。

 今と昔は異なります。 当時の人達が語る、 女学校  という響き、、、、、
これには一目を置くことが大切かと思います。



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